週末開拓民奮戦記

ハンドカット&セルフビルドのログハウス(78)
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2006年10月(1)
所用があり、4日の夜から野迫川に行っていた。
道中の市場に天然のヒラマサを見つけ、夕食用にと少々買い求める。
今夜はようやく秋刀魚から解放されるとkiiさんは喜び、私はといえば、カンパチは好きだがヒラマサは大、大好きで、遅めの夕食にはなるが刺身が待っていると、ここまでは至ってお気楽ないつもの二人だった。
今回は橋本市経由で、途中の酒店で三河みりんと千鳥酢を仕入れる予定。
この酒店は調味料になかなかのこだわりを持ち、品揃えが素晴らしいので重宝しているのだが、まずそこで躓いたのである。どういうわけか両方とも品切れで、入荷はさだかでないという。
橋本経由が無駄になったと、少々しょげ込んでの野迫川着。
もう既に真っ暗で、秋の侘しさを一瞬味わい、そして仰天した。
搬入されたカラーベスト この、週の半ばの野迫川入りには案件があり、5日の午前中にカラーベストの直送便に立ち会うことになっていたのである。
搬入は9時以降の午前中とのことで、急遽4日の夜に野迫川入りしたという訳である。
ところが、である。荷物は既にどんと降ろされているではないか。
それもあらかじめ予定してあった場所ではなく、しかも雨の仕舞いもきちんとされていないから一部はボトボトである。
どうして?
「荷が揃い、持ち込めるのは5日。」そう明言、断定したのは○ーナ○プロへの卸業者で、こちらは仕方なく段取りを変更したという経緯がある。
○ーナ○プロに電話をしようとしてまたまた吃驚仰天する。

電話が通じない!!
原因は見当もつかないが、二週間ほど前に花友達の妙子さんから、十回ほど掛けたけれど通じなかったと連絡を貰っていたから、多分そのときにはもう不具合が生じていたのだろう。
背筋を汗が流れる。
携帯電話が圏外のこの地域では、固定電話が命綱である。
緊急の場合、固定電話が繋がらなければ助かる命も助からない。
一ヶ月ほど前にも、電動ノコギリで怪我をした人の緊急連絡をして、電話の必要性を痛感したはずだったのに...。
何もなかったから良かったものの、うかつだったと臍を咬む思いである。
一キロ先の公衆電話に走り、113に故障の連絡を入れるが夜間のため自動応答である。不安を感じながらもあたふたと、必要事項を録音する。
次いでプロにも連絡を入れるが、担当者が不在で要領を得ない。プロ意識を持った人がいかに少ないことかと、私は眦を吊り上げる。

降りしきる雨の中、作業をするNTTの方 翌朝、9時になるのを待って再度NTTに電話する。
「昨夜連絡を貰ってから調査した結果、故障が判明しましたので作業予定には組み込みましたが、今日居られるようでしたら調整してみます。」とのこと。
感謝、感謝である。
五條市から一時間余を掛けて来てくださったが、冷たい雨の降りしきる中で修理される姿に、思わず頭を下げる。断裂の原因は古い小さな疵だった。
さてカラーべストの件だが、上のものから折り返し電話をさせますと言った○ーナ○プロからは待てど暮らせど連絡がなく、掛かってきたのは下駄を預けられた卸業者から。ただ謝るばかりで、どうしてこうなったのかの説明はまったくなされていない。
説明がされない以上、約束の日時などを違えても自分たちの都合を最優先したということなのだろう。そういう穿った見方をされても仕方がないだろうし、私はそう解釈している。
たまたま担当者が休日に当たっていたために不在で、○ーナ○プロの対応の無神経さも相まって腹立たしい思いをさせられたが(もっとも、そんな電話に出る羽目になった人も気の毒ではあったけれど、運が悪かったと諦めてもらうしかない。)、後刻、休日にもかかわらず担当者からの丁重な電話もあったことなので、矛を収めることにしよう。
腹を立てるのは、何といっても健康によくないものね。
しかし、昨今の企業は社員を減らしアルバイトやパートを多用して人件費を削減しようとするが、そういう体質の企業は、接客教育や商品知識も不十分で、臨機応変の対応ができず、クレーム対策も万全ではないような気がする。
「人は石垣、人は城...」大切なものが何かを忘れてはいないだろうか。


香り高き...。 村の知り合いからマツタケをいただいた。
「小さいけれどマツタケご飯をしてね。」と...。心遣いが嬉しい。
国産のマツタケはしっかりと重みがあり、香りが高い。
匂いマツタケといわれるが味もマツタケだと、本物のシメジを食べたことのない私は頑固に思い込んでいる。
暫し香りを楽しんで、マツタケは宅急便で娘の元へ。
「“口福”も子どもたちへ送りたいと思うよね。」「親ってつくづく損なものだと思うけれど、それが親なんだよね。」
そう言いながら荷造りをするkiiさんの幸せそうな顔といったらない。こうして私たちは幸福をいただいている。
と、まぁ、一泊二日てんてこ舞い騒動記はめでたく幕を閉じたのである。

【追記】
昨年の秋に三重のhamaさんが訪ねてくださったときは、足場の補強や組み換え作業でしんどい思いをさせてしまったが、実は今週末の来訪時には、たまたまカラーベスト葺きが作業予定に入っている。
不思議なことに、必要とされる人が当たってしまうものらしい。決して作為ではないが、期待していないといえば嘘になる。
ルーフィングを貼ったら2〜3年は放っておいても大丈夫だ、などという人もいるようだが、決してそうは思わない。
特に気候の変化の激しい地域、自然環境の厳しい地域では長く置くのは禁物だと思っている。
だから屋根工事の最終段階であるカラーベスト葺きは、雪が降る前に何としても片付けなければならない、心急かされる作業の筆頭であった。
この記を目にしたら、「エ〜ッツ、またエライ作業に当たるの!?」と、訪問を中止しようという気持ちがhamaさんの心を過るかもしれない。
この章をアップしようかどうしようかと、私はかなり逡巡している。


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