週末開拓民奮戦記

ハンドカット&セルフビルドのログハウス(95)

大きな画像とリンクしています。

2008年1月(2)
正月以降、日向の雪は融けてしまったが、野迫川は再び真白の世界だった。
気温は日中でも0℃前後で、冷え込んでいる。
もっとも最低気温がマイナス5〜6℃というのは、この時期にしてはかなり暖かい。
年々マイナス15℃などという気温が長く続かなくなり、また寒すぎて此処では咲かないといわれていた金木犀が、最近は咲くようになったとの話題にも、じわじわと忍び寄る温暖化を感じている。
環境の劣悪化は憂慮すべきこと、何ができるか、何をすべきかを私たちも常に考えて生きたいと思う...。
これも気象状況の変化のせいか、この地では絶対に育たない筈の枇杷の苗も、二年続けて健在である。
ということは、実は収穫できなくても葉は利用できるかもしれない。
何度も失敗した柚子も、冬場の保護さえしてやればなんとか育つかもしれない。
「自家製の青柚子こしょう」は一番の夢なのだ。
考えただけで、もう実現できるような気がしてしまう、これが私の一番の短所なのだけれど。
冷たいので時間は短縮気味だが、kiiさんは真面目に作業に取り組んでいる。今回はLKの窓工事を始めた。
防風&寒さ対策として昨年末までには仕上げておきたかった作業だが、これも遅れていた。
寒くて身体が固まっているときに、作業がスイスイと進むわけがない。
壁板を追加製材して壁面を仕上げてしまいたいのだが、簡易製材機に使用していた大きな丸鋸が故障して、修理不能になってしまった。道具や器械というものは壊れかけると続くというが、デジカメに続いて丸ノコ、次は何だろうと恐々としている。機種選択、単価調査がまだなので、已む無く窓工事に移行したというわけである。

ところで、この板ガラスはリサイクル品である。
妙子さん宅が改築工事の際に、総ガラスのアルミ引き戸(4枚)を枠ごといただいてあった。
いずれ作る予定の作業場入り口に使おうと考えていたが、開口がどうなるか未定で、また5ミリ厚のガラスが勿体ないとも思っていた。
kiiさんの解決策は、ガラスと枠を分離して使えばいい、である。
5ミリ厚ガラスは貴重だからリビングキッチン正面の4ヶ所のFix(羽目殺し窓)に使おうとはいうものの、リサイクルガラスは切断が難しいとその道のプロからも聞いていたので、「割れたらどうする?何とかこのままで使える方法はないの?」と私はかなり引いていた。
「考えている方法でうまくいくような気がするんだけどね。とにかくやってみるよ。」 その切断状況が上左の画像。
ガラスがまだ新しいということも好条件だったのだろうが、意外とスンナリ綺麗に切断できたのには、私は勿論だがkiiさん自身も吃驚した様子。
「不要のガラスいただきます!!」って触れ回らなきゃ...と、さっきまで引いていた私の恐ろしき豹変ぶり...。
まずは一枚、無事にガラスが入ったのでありまする。(上の右画像)
「こんなことなら構えていないで早く入れておけばよかったね。」とkiiさんはのたまうが、知恵を生み出すにはそれだけの時間が必要だったのだろう。
でも内心密かに、ガラスが早く入っていたら、年始休暇のときに少しはLKの寒さが和らいだかもと思ったのも事実。
それでも、次回には少し暖かいLKを期待できそうである。(うまくいけば...。)

積雪のある間は庭仕事もできないと、おおっぴらにログ守りをしている私だが、そうそう籠もってばかりでもない。
散策しながら春の作業をあれこれ考えたり、雪上に動物や鳥たちの足跡を見つけて辿るのも冬の楽しみである。
その散策の折、庭の一画にあるブルーベリー畑を遠目に見ながら、通り過ぎようとしたときのことである。
左目の端に、なにやら黒っぽい大きなものが動いたような気がして足を止める。
幾つかの尾根を過ぎた辺りに熊が出て、村人が大怪我をしたと聞いたのは二年前。 熊か!?と一瞬固まる。
木陰からそっと覗くと、後ろ足で立ち、ブルーベリーに覆いかぶさるように前足ごともたれかかって、朝食の真っ最中だったのはなんとカモシカ君。
カメラを取りにログに戻り、kiiさんに「カモシカ、カモシカ、早く!!」
静かに近づいたつもりだったが、気配を感じて逃げ出したカモシカは、急傾斜の杣(そま)道で立ち止まり平然と見返している。
堂々としたその様子にあっけにとられ、二人ともポカンと口を開けたままで見送ってしまう。
近年カモシカの出没は頻繁で、今までにも作物や樹木の被害は数々あったが、我々が居るときの訪問はひっそりと遠慮気味だった。またその食指がブルーベリーに及ぶことはなかったのだが...。
ブルーベリー畑の防鳥ネット下の隙間から、よく潜り込めたものだと呆れる。
枝先の柔らかい部分を食べるだけならまだしも、全体重を掛けてもたれるものだから枝もボキボキと折れている。
何しろベリー類が大事の子のkiiさん、急きょ最優先事項に格上げして、慌てて防御ネットを張り巡らせたことはいうまでもない。
動物に関してもう一話。
昨年のこと、柿をうっかりLKに出しっぱなしで帰阪してしまったのだが、次回に行った折には陰も形もなくなっていた。
それまでにも糞が残されていたりして、いったい何が来ているのかと興味津々だったのだが、パンの耳を置いておいたところ、来た来た!!真夜中の訪問者はテンさんだった。
銀茶色の光沢が艶々と美しく、表情もあどけなくてとっても可愛い。これは写真を撮る前に逃げられてしまった。
鳥の給餌台に置いて帰るパンの耳が一片のカケラも残されていず、鳥の食べ方とは違うのではないかとずっと気にかかっていたのだが、案外このテンさんだったのかもしれない。

相変わらず、顔を合わせると家&庭造り計画を語り合っているが、ここにきて急に浮上したのが「渡り廊下構想」。
これに関してはまた次の機会に...。

2008年1月(1)
皆様、新年おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

31日の朝遅めにようやく野迫川へと向かう。途中買い物をしながらなので、到着は午後。
12月31日昼 久しぶりの山は雪景色だった。
まず第一の懸案事項が湧き水の誘引が凍っていないかということ。
無事だったのでホッとする。なにしろ飲料水は一番の大事。水がなくては過ごせない。
年末年始の寒波予想に、町に居てハラハラしていたのだ。
谷からの水も今のところは健在で、これでお風呂にも入れると二人でニッコリ。
12月31日3時 荷物を降ろし、ログ内の整理整頓(何しろ私が来ていない週が続くとメチャクチャになる。)をし掃除をしている間に、雪が舞いだしてアッという間に視界が悪くなる。大晦日は積もりそうな予感。
で、年が明けると右の画像のように...。
真白の世界で迎える元旦もいいものだ。
元旦の朝
山で年末年始の休暇を過ごすようになったのは今に始まったことではない。
開拓当初、まだ荒れ果てた杉山だったあの頃、ログの片鱗どころか仮寝の小屋もまだなかったあの頃から、私たちが過ごすところはここしかなかった。
物好きな二人だと奇異な目で眺められようと
も、引き寄せられるように心はいつも山にある。

弁天神社 12月中の疲れを取らなくてはと、たくさん持ち込んだ本や映画を観ながらゴロゴロしていたら、「食っちゃ寝も疲れるよ。」と、kiiさん。
無理やり引き立てられて野川(のかわ)弁財天まで初詣に行く。
弁天社の美しく装った様子は、華やいだ雰囲気があって好きなのだが、そこに雪景色が加わるといっそう正月らしい。
本殿へ
弁天神社は野川の弁天さんで親しまれているが、正式の名称は真言宗妙音院で本尊は弁財天女。
野川谷四集落の守り神として親しまれている。
本殿は江戸時代末期の建築で春日造りと呼ばれるものだそうで、壁面を彩る極彩色の絵が美しい。

神社と寺の共存というのは今では珍しいもののようだが、明治までは大半の神社に神祇祭祀場が設置されていたそうである。それが「神仏分離」で神社内の仏教施設が分離破棄されるに至ったが、なかには僅かだが神仏習合時代の名残をとどめるものが残されているのだという。
遠い昔に歴史で習った事柄を、ここで目の当たりにするのも意義があるものだ。
庵主さんと 「健康で実り多い一年を過ごせますように...。」
娘一家の分も祈願する。
(勿論お賽銭もはりこみ、しかも人数分をきっちり入れた。)
←庵主さんと四方山話に興じるkiiさん。
お参りの後はお神酒と大根炊きの振舞い。
毎年思うことだが、冷えきった身体を温めるこの心づくしが嬉しい。
大根炊き
今年は2日から仕事をしようかなと言うkiiさんに、「絶対イヤ!!せめて2日まではゆっくりしたいよ。」と抵抗して3日からの作業に同意させたのに、2日になるともうソワソワしている。
根っからの貧乏性なのか、まったくもってあずましくない。
「keiさんはゆっくりしてたらいいじゃないの。」って、そんなこと出来るわけがないでしょ。
「正月早々バタバタしないほうがいいと思うよ。ひどく冷たいし、怪我でもしたらどうするのよぅ。」
曇天続きで雪がチラつき空気が冷え込んでいるのを理由に、悪魔の囁きである。
新年の初仕事 3日、相変わらず冷たい。
鳥の声さえも「ちびてぃ、ちびてぃ。」と聞こえる。
マイナス5℃ほどで気温的にはそう低くもないのだが、まだ身体が慣れていないせいだろう。

kiiさんの今年の初仕事はバードテーブルの作り替えから。
来客がカケスというのはイマイチなのだが...。
バードテーブルは幾つか作って欲しいと思っているが、「カケスばっかりたくさん集まってきたらどうする?」には、ヒッチコックの「鳥」をつい思い浮かべて躊躇してしまう。あの映画に出てくるのはカケスではなかったけれど、それにしても大挙して押し寄せられたら不気味な大きさではある。群れをなすのはヒガラぐらいまでが可愛い。

私は昨年からの持ち越しで、裏山へ笹&ススキ刈りに入っている。
笹は倶楽部内の隣接地からの侵入によるもので、敷地内はある程度防御に努めているものの、その先に見渡す限り続いている様を眺めては苦慮している。
今回山に入って、その隣地の荒れようを再確認したのだが、所有者は手入れの義務を放棄し、こちらは侵入を防がなければならず、そこには他人地を手入れしなくてはならない虚しさがつきまとう。

当分この処理に当たらなくてはならず、「どうしたものか...。」とため息をついている。
雪が積もっているので斜面を滑り落ちながら苦闘している。
本格的に作業開始 リビングキッチンの中にあった小屋を昨春やっと撤去したものの、その外壁部分は急遽コンパネで仮張りにしたままだった。
この壁面を完成させることがこの休暇中の最優先事項だった。

←先にコツコツと作り上げてあった壁板の寸法を切りそろえている。
壁面の板張り1 まず壁面にグラスウールを張り、その上に壁板を打ち付けていく。
リビングキッチンの北面なので、雪は融けず空気も南面とはまったく違う。
南のテラスでは外で昼食を取るほどの暖かさなのに、まるで世界が異なるようである。
足元が滑るので思ったように動けないと言いつつ、それでも少しずつ張りあがっていく。この二面を張り上げたところで材料が足りなくなり、残りは次回へ持ち越し。
これはkiiさんの計算ミスではない。
壁面の板張り2
気ままな誰かさんが、「ここを窓にしたい。」と画を描いたのに、「アッ、やっぱり止めとこ。」なんて急に言うものだから...。
工事責任者にとってはまるで暴君。一番始末に負えない輩である。毎度のことながら、あいすみませぬ。

帰阪前夜は村の知人と、美味しい肴を摘まんで酒を呑み、楽しいひと時を過ごす。
ワインを4本、ほとんど二人で空けているのに二日酔いをしないkeiさんはまるで化け物だ...。とkiiさんが嘆息まじりにのたまう。そういえばkiiさんは、傍らで呆れた顔をして、ちびりちびりと薄い焼酎のお湯割りを呑んでいたっけ。
他人
(ひと)と呑むときは酔わないのが、私のいいところでもあり悪いところでもある。
でも、化け物はないでしょ、化け物は!!せめてウワバミといって欲しいなぁ...。
もっとも、こんなことは数年に一度あるかなしで、よほど気が乗ったときだけ...。
平生はこういう呑み方は決していたしません。

久々に家&庭造り計画表を片手に予定を語り合う時間も持つことができ、 静かで穏やかな充実した正月休暇だった。
ところで休暇中に何冊も本を読んだけれど、一番よかったのは野中ともそ著の「チェリー」だったとは、珍しく二人の意見が一致したことだった。

帰阪して異口同音に発した言葉が「大阪ってどうしてこんなに暑いの!?」
人が聞いたら目を剥くのではないかと思うが、寒さに慣れた身にはかなり堪える。
冷房が嫌い、暖房が嫌いな我が家への来客はご難である。
特に冬場、18℃以上になると不快感を感じる私のこと、我が家へのご訪問には厚着をお薦めいたします!!
2007年12月
壁板作り1 12月は多忙や健康上の理由などで、kiiさんが前半に行けたのみ。
作業としては壁板が出来上がった程度で、目立って進んでいない。
この壁板作りも結構手間が掛かる作業だから、進捗状況が悪いのは仕方がないのだが...。


←丸太をチェンソウで立て挽き後、 この部分が板の側面になるためプレナーをかける。
簡易製材機 上の丸太を手製の簡易製材機に掛けて板にする。
板の厚みは20mm。
何十本もの丸太をカットしていくのだが、kiiさんは木屑まみれになる。
板に挽いた後は、また一枚ずつ自動カンナを通して表面を滑らかにする。
製材所に持ち込めば即座に出来上がるはずで、こんなに複雑な工程は要しない。そんな考えも微かに頭を過るけれど、まぁ今更の感もあり、kiiさんの手製への拘りを大切にしたいと思っている。
なかなか綺麗でしょ。


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