週末開拓民奮戦記

ハンドカット&セルフビルドのログハウス(45)

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2004年3月(4) 20〜21日
奈良のT君から「コンテナ材を取りにおいでよ。」とTELがあり、20日午前中に大きなバールと掛矢
(かけや/大きな槌)を持参で奈良の針まで引き取りに行く。
T君夫婦と4名でコンテナをばらし釘を抜き、黙々と懸命に作業をして結構汗ばむ。
久しぶりに名阪国道を走行したのだが、針周辺の光景が一変していたのには吃驚する。
針は針テラスという道の駅が作られていて、温泉もあり、野菜や土産物などの販売所あり、勿論飲食のできる店舗も立ち並んでいる。
土産物店で「伊賀越」のショウガのたまり漬けを見つけ、私は小躍りする。
お気に入りなのだが、少量を宅配してもらうのも気が引けて長らく口にしていなかったのである。
針テラスでT君夫婦と別れ、私たちは一路野迫川へ...。
野迫川は山が深いけれど、この辺りは空が広い。
ゆったりとした里山の風景を楽しみながらも、積み込んだコンテナ材に身を縮めながらの道中になった。
やがて雨...。雨が降る前に積み込みが終ってよかったとホッとする。
搬入したコンテナ材の一部 このコンテナ材は271×38×3000。(単位はmm)
T君が以前に何度も運んでくれのだが、今回は私たちが引き取りに伺った訳。
この材はとてもガッシリしていて、ログ造りの中でも多用途に利用させて貰っていた。
今回は根太替わりにD.Kの床に敷くことにしている。
床厚は、この材+断熱材+コンパネ+仕上げ材で95mmになる。断熱効果は抜群で、飛んでも跳ねてもビクともしないだろう。(この画像は大きくなります。)
夕食は、はるばる大阪からFさんご夫婦がメインディッシュ持参で訪れ、久しぶりの宴会になる。
タラバの鍋に刺身多数。アワビのシャブシャブなる贅沢もさせて貰った。
海鮮をたくさん戴いて翌朝は元気モリモリ 早朝から移植作業に取り掛かる。
何しろ、私たちにはログ造りが待っているのだ。
早く移植作業から解放されなければならないから、二人とも必死なのである。

今回で樹木の移植計画の90%を完了した。
大きな樹木は大方が移植を終え、土佐ミズキの一本を残すのみ。
あとはさほど困難なものはないので、ヤレヤレである。
日が暮れる頃には二人とも口を開く元気がなく、それでも「ここまで、よくやったね。」との充実感があって終い事も手早い。

kiiさんはもう一日を費やしたらログに戻れるし、後は私一人で、小さな樹木や山野草の移植に取り組むことになるが、これも4月中には完了させなくてはならない。
来年度からは大幅な移植作業が無くなるので、山の棚段や通路の整備にも時間を割けるようになるだろう。
台風の倒木やツタや笹で荒れ果てた
山の斜面にも、ようやく着手できるようになる。

2004年3月(3) 13〜14日
先週末は久しぶりにいいお天気になった。
春めいてくると、樹木の移植などにますます気持が急かされる。
日が長くなってきた上に、簡易台所のおかげで、時間いっぱい作業ができるのが嬉しい。
もっとも、そのおかげで疲労感は大きいのだが、心地よいと思うことにしている。
サニタリー・浴室部分に窓をつける ←(1)☆
窓を取り付ける
窓が入って、少し家らしくなった
→(2)
出来上がり
まだ壁がないから台所はとても寒いのだが、せめて風が通り抜けることだけでも防ごうと、kiiさんは窓を入れる。この窓は永続的なものなので、いい加減にはできないと懸命な様子である。
浴室部分には南面に嵌め殺しの透明の窓が入る予定だが、取りあえずはコンパネを打ちつけた。
窓はこのブロック造りのサニタリー・浴室部分のみサッシを使うが、ログやD.Kは木で手作りの予定。
山の斜面に棚段を作る ←(1)☆
山の斜面に棚段
を造る
このエリアには大きな桜が三本。梅が移動して空間ができ、ゆっくり花見が楽しめそう...。
→(2)☆
小梅を掘り起こす
翌日は庭仕事。山の斜面の崩れやすい所は丸太で段を作る。
「ここの辺りにはどんな野草を配しようか。」などと考えるのは後回し。
目先のことをこなすだけで精いっぱいの有様である。
こんな斜面が高さ約13mで長さ60mも続いているのだから、ため息ものなのである。
一部分だけができたけれど、先が長い...。
要所要所に樹木を移植しながら作業を進めるが、斜面の作業は思ったより体力を消耗する。
夕刻近く、小梅の移植をする頃には二人ともフラフラになり、今回はこれにて打ち止めにする。

ジャングルになっている育樹エリアは一昨年からの懸案事項だったのだが、この二年間は春が異常に早く、例年3月末から4月中旬にかけて行なっていた移植の作業が完了できないままに暖かくなっていた。
倶楽部では、凍結が早いためか秋の植樹はどうも樹木のためによくない。
何度かの体験で、春までの一ヶ月が一番の適期だとは会得したのだが、予測できない異常天気に振り回され、挙句、樹木は移植しそびれて育樹エリアでスクスクと育ってしまったのである。
この二度の春に懲りて、今年は三月に入るとすぐに移植作業に着手した。
育樹エリアは大きな穴が幾つも開いて、見通しがよくなった。

庭造りに思うことだが、「足すことよりも引くことが大切で、それがまた一番難しい。」と...。

今夜は鴨鍋。 友人が差し入れてくれた合鴨が冷凍庫にあったので、ミズナを摘んで鴨鍋にする。
ミズナは今年は初めての収穫。
寒さの中で痛々しかったのだが、日中の日差しの暖かさと共に新芽がたくさん顔を出し、サラダにもバッチリというぐらい甘くてやわらかくて、冬のミズナとはまた異なった味わいがある。
洗いながら口に入れて「ウーン、美味しい!!」
合鴨鍋は雑炊もこくがあってなかなかいける。
忙しい時は鍋が一番の手間要らずだけれど、栄養満点、身体も温まる。鍋料理を考えついた先人の知恵には脱帽だと、いつもながらに思う。

2004年3月(2) 
先週の休日が振替になり、週の半ばに野迫川に行ってきた。
平日に行くことはなかなか叶わないが、集中できるので作業が捗る。
朝晩は相変わらず気温がマイナスになり冷え込むが、日中は暖かで、歩みは遅いが少しずつ春の気配を感じる。鳥たちも賑やかに囀りだし、「光の春」に心が弾む。
流し台やガス台を設置して、給・排水工事も完了。 とりあえずは夕食の用意までに簡易台所を使えるようにしようと、給水&排水工事を急ぐ。
夜の帷がおりる頃、電球をともして食事の準備。
窓が入っていないし入口にはまだ壁もできていないので、風通しがよすぎてブルブル震えるけれど、それでも今までの野外の台所とはかなり趣が違う。
4uの簡易台所は小さいながら使い勝手がよく、ログからは歩み板を渡し掛けて移動も楽になった。
「D.Kができるまで、お世話になります。」私はピョコリと頭を下げての使い初め...。
そんな私をkiiさんが見ていたらしく、「早くこうしてあげたらよかったね。」
開拓民の作業にも流れがあるのだからそんなことは考えてもいなかったが、ずいぶん楽になったことは事実。嬉しい私の心が通じるのか、kiiさんの表情もほころんでいる。
今夜のメインはフキノトウの天ぷら。
大きなほっこりしたフキノトウが沢山採れて、早春の香りが食卓を賑わす。

翌日のkiiさんは、既存の道具小屋&トイレの窓を外す。
この小屋をD.Kが呑み込む形になるので、使用していた窓を浴室・サニタリー部分に利用しようという訳。

小屋にはコンパネを張ってあったのだが、ビスの上に外装材のボンドがこびりついてねじ山を潰してしまい、外すのに結構な時間を要してしまう。
できれば簡易台所の窓だけでも入れたかったらしいが、これは次回に持ち越す。

私は朝から樹木の移植に取り組んでいたが、遅めの昼食の後は、kiiさんも一緒に大きいものを移動する。
春の訪れが昨年よりもまだ早いとの予報で、移植の作業も急かされているのである。
育樹園(?)から掘り起こし、計画に沿って植え込むのだが、段差や傾斜の土地を大きな樹木を抱えて移動するのは、半端な労働ではない。
育樹園とは聞こえがいいが、開拓がこれほど長びくとは思わずに買い込んだ苗木が、そこで大きく育ってしまっただけのこと。
この2月で開拓当初から丸7年を経過したが、樹木の生長は思いのほか早く、そのエリアはジャングルの様相を呈するに至って、切り開いた所へと順次移植を進めている。
小さなものは私で何とかなるが、大きなものになるとkiiさんの助けなしでは無理なのである。
それにもうひとつ。沢山の樹木の移植をしてきたおかげか、kiiさんが手を付けたものは成功率がとても高い。移植にも素人なりに彼のノウハウがあり、「適性があるんじゃない?」
と私は数歩譲っている。
“これは、気分よく手伝わそうとのkeiさんの手である。”とkiiさんは疑うが、決してそんなことはない。

梅3株、プラム1株、椿を10株移植。今回はkiiさんの待望のヒメコブシが桃花、白花各1株仲間入りしたが、そこまででタイムアップ。私たちも息切れしてへばってしまう。
疲れたけれど心地よく、その夜は夢の一つも見ずにぐっすり眠った。
人力のみの原始的な労働も、人には時には必要なのかもしれない。

梅8株、プラム2株、サクランボ、リンゴ、アンズ、カリンなど10株、椿14株、ウツギ、ニワウメ、ニワザクラ、スモークツリー、土佐ミズキ、アメリカアサガラ、アジサイなど30株、以上がまだ移植を待っている。
いずれも大株である。
数度に分けて移植しなければならないけれど、kiiさんの手隙を見て、三月中にどこまでできるか...。

2004年3月(1) 
ニ個一コンビの私たちは、片割れが体調が悪いとどうも調子が出ない。
私がようやく体調が戻ってきたせいか、最近のkiiさんは作業意欲に燃えている。
だが、そのkiiさんも天候には勝てない。
スッキリしない週末が続くと、余裕を持っていた予定もたちどころに狂ってしまう。
野迫川は雨、霙、雪の目まぐるしい一日だった。
皮むきは根気仕事 kiiさんは雨の止み間に、葉枯らし用の杉を必要量 伐採したかと思えば、以前から枯らしてあった分は皮剥きをしなど、
とにかくあれこれとよく動いて、ダイニングの土台や柱、棟木
や母屋などの準備に余念がない。

準備が整えば二回目の棟上げだが、そこまで扱(こ)ぎつけるのがなかなかである。
奥に見える卜伝君のこと。
先日、奈良のT君が立ち寄ったのを幸いに、「よく来てくれました。顔を見たら只では帰さぬ。」と、卜伝
君のオイルチェンジをして貰う。
彼はメカに強くkiiさんのよきアドバイザーである。
卜伝君には棟上げで威力を発揮してもらわなければならないから、いい機会だった。
再び快調に動き出した卜伝君の、リズミカルな音が山に谺している。


足元が濡れて危うくなってくると、外部での作業は中止してサニタリー部分の足場解体。
内部にギリギリに組まれた足場は、バラシに手間取る。
ダイニング部分の建築が最優先事項なので、このサニタリー部分はその完成後に再び手を付けることになるのだが、浴室部分((2)の画像で左ブロック部分)は棚を作って当座の道具部屋として使い、洗面部分には仮の床を作って簡易の台所を作ろうという構想が急遽まとまる。
食事の用意をする度、野外の調理場からログまで、20mほどを何度も往復するのは大変だということ
に、ようやく気付いてくれたらしい。
凍えるような水の冷たさよりも、そちらのほうがかなり堪えていたのである。

ガラスを戴いた先で、不要のプロパンのガス調理器や流し台も頂戴してきた。
D.Kが出来上がるまでの長丁場、重宝するに違いない。
サニタリーの内部足場を解体している ←(1)
サニタリーの内部足場を
解体する
パイプ足場を利用して、簡易台所の床ができる
→(2)
床ができる☆
ここに流し台やガス台を置くと、食事の用意がずいぶん楽になる。
ダイニングの床が張れたら面一(ツライチ)になって、もっと動きやすくなるだろう。
磨いた流し台を運び込んで「ウン、バッチリ!!」
給水や排水工事などは部品が不足するために次回に持ち越されたが、これで私が諸作業に使える時間が大幅に増えることは言うまでもない。


今回は知り合いからの差し入れのグラスウールも運ぶ。こんな差し入れはほんとうに嬉しい。
グラスウールも7坪分になるとズッシリと重い。
ダイニングの壁面の断熱に利用させていただくことにする。


                   
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