週末開拓民奮戦記

ハンドカット&セルフビルドのログハウス(53)

2004年9(1)
9月はほぼ一ヶ月、野迫川を留守にしていた。
娘の第二子誕生で、埼玉にてお手伝いさんをしていたのである。
その間、kiiさんは週末には野迫川に通い、束作りに精出していた。
20本の束を、それも複雑な刻みもあり、一人っきりの野迫川で作業するのはあまり楽しいものではなかっ
たろうと想像する。何しろ二個一コンビの私たちだもの。
完成したという連絡が入った時は声がかなり弾んでいた。

現物には今回初めてお目にかかったのだが、勢揃いした20本の束は壮観だった。
完成した20本の束。



この刻みにはてこずったそうな。

2004年9(1)
8月の棟上第一期工事が完了してホッとする間もなく、雨の合間を縫っては、棟木や母屋作りに取り組んでいた。
庭仕事も中断を余儀なくされることが多い8月だった。
繁茂する草には目をつぶり、「山はもう秋、草も枯れる。」と諦めている。
この時期に手を抜くと、来年の春には倍加していっそう強くなった雑草に、てこずることになるのだけれど。
「でも見ていてごらん。来春は君たちも私たちのお腹に納まる運命なのだよ、フフッ。」
草たちにそう話している私を見て、kiiさんが言う。
「気持悪ぅ。それにサ、こんなものも食べさせられるの?まるでヤギだよ。」
「そうだ、いつかヤギも飼いたいと思っているのよ。」
「・・・・。」沈黙してしまうkiiさんである。
丸太の長さは約8m。少々手強い。 皮を剥きホゾ穴を開け始めたが、約8mの材はなかなか手ごわく、加工も簡単にはいかない。

焦りが見えた時は、小休止してブルーベリー摘みをする。
今年のブルーベリーは豊作だったが、実りの最盛期に雨が多いのでイマイチの出来になってしまった。
屋根勾配に添った面を作る。材が長いので縦挽きには結構時間が掛かる。 ホゾ穴のキザミが済んで、屋根勾配に添った面を作る加工に入る。

縦挽きをするチェンソーの音が周囲の山にこだまする。
少し離れて別の作業をしながら、私は心地よく感じている。
建設の、それも木に関わる音はいずれも大好きである。

一日中縦挽きをしていると、kiiさんは身体中が木屑だらけ。
この作業をしている時は、お風呂が何よりのご馳走らしい。
やっと仕上がった。ヤレヤレ...。ホッとしているkiiさん。 縦挽きが終った材にプレナーを掛けて仕上がりである。
真ん中の材が棟木になる。
三週間を掛けて棟木と母屋が完成。
kiiさんは仕上がった材を見ながら、ホウッとため息をついた。
20本の束(ツカ)作りがこれからの作業予定。
数は多いが短いので、軽い分作業がしやすいだろうとのこと。
それでも、束はホゾを両方に作らなければならないから、手間は相当に掛かるだろう。
日の暮れがずいぶん早くなった。
秋から冬へは駆け足、気持ちよく作業ができる期間も少なくなる。
地震が来るなどとは想像も出来ず、楽しげに談笑してバーベキュー。 夕食を外でいただくにも火が恋しくなってきた。
いつの間にか二人共火の側に近寄っている。
今夜は往く夏を惜しんでバーベキュー。
三元豚のスペアリブに野菜いろいろ。
今日もよく働いた。
庭の作業の合間にブルーベリーのジャムを作り、おからを煮て、焼肉用のタレも作った。一晩置いたほうが味が熟れていいのだけれどと言いながら、久しぶりのスペアリブに舌鼓を打つ。
この写真を撮って、カメラを置いたそのすぐ後に最初の地震が来た。
9月5日午後7時7分、仕事の都合で休日がずれ、この日はたまたま野迫川泊になっていた。
一瞬何が起きたのかと周囲に目を凝らす。
「地震だ!!」のkiiさんの声に、私は阪神淡路大震災の光景を脳裏に思い浮かべゾッとする。
娘の通っていた学校は阪神地区だったから、あの悲惨な光景はいまだに脳裏から消えない。
早く収まって欲しいと念じながら、kiiさんを見る。「大丈夫だよ!!」の声が心強い。
ラジオのニュースが地震速報を報じている。大きかったらしい。奈良は震度5弱とか。
阪神淡路大震災の折、大阪に居て体験した震度4よりは軽い気がした。
体感は震度3強ぐらいか...。
kiiさんの家造りは見た目がスマートではないけれど、その代わり馬鹿丁寧なほどガッチリした造りで、そのおかげかもしれない。
11時57分の二回目の地震はロフトで就寝中。奈良の震度は4だったそうだが、眠っていたせいか、このときのほうが恐怖を感じた。
静まってもなかなか寝られず、朝まで懐中電灯を握りしめたままだった。
台風、大雨の影響で土砂崩れが頻発しているが、この地震でまた地盤が緩むのではと案じられる。


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