週末開拓民奮戦記

ハンドカット&セルフビルドのログハウス(69)
(大きな画像とリンクしています。)

2006年1月
本年もよろしくお願いいたします。

正月は雪の中で明けた。
凛とした空気の中で、今年も「元気・根気・やる気の三気で頑張ろう」とガッチリ握手の二人である。

ところで、正月休暇
中からの進捗状況はあまり芳しくはない。
芳しくないというのは決して怠惰のせいではなく、組んだ予定の大きさと天候による...。
kiiさんは作業意欲に大いに燃え、私はひたすらセーブする側に回っている。
何しろ山は雪と氷の世界。焦って作業に繰り出すとロクなことはない。
暖かい日には作業に勤しみ、天候が落ちで冷え込んだ日や長い夜は、ログ内で本や映画を友とする。
多分これも、此処に骨を埋めるようになったときに、私たちが実践している日常の一つになるだろう...。

←本年の作業は3日、ロフトの内壁作業から。

ロフトの外壁は2cm厚の杉板を張ってあるが、その内側にまずは下地を作る。
胴縁(ドウブチ)を打ち、胴縁と外壁の間に断熱材を入れ、その内側に石膏耐火ボードを張るのだが、この下地作り(胴縁打ち)に結構時間が取られた。

下地を作り終え、いよいよグラスウールのお出ましである。
昔はグラスウールは嫌われものだった。
繊維がチカチカして肌に刺さると痛く、細かく散った塵は喉を痛めたものだ。
今はその頃より改良されているのだろうが、ロフトには既に寝具や衣類も置いてあり、すべてをカバーするにも完璧とはいかない。
また開口部の隙間から一階部分に散ることも懸念されて、取り扱いには相当の神経を使う。
                  グラスウールを入れ、タッカーで止め付ける
あれこれ考えた末、ガムテープを使ってはどうかと提案。
これが抜群の効果があり、最初は乗り気でなかったkiiさんも「こりゃぁ、いい!!」を連発する。
あの憂慮は何だったのだろう...。心配はまったく杞憂に終わった。


←石膏耐火ボードを切断しているkiiさん。(ロフトの外のベランダにて。バックは降りしきる雪)
冷たくて、カッターを持つ手はガチガチ...。
丸太の部分が多いのでボードのカットには相当手間取り、一気に完了とはいかない。
それでも室内は少しずつ暖かくなっているような気がする。
私は傍で、はめ込まれていく石膏ボードを釘打ちする。
「keiさんの釘打ちはユガユガのグニャグニャだね。」
「どうせ隠れるもの。」と言いつつ、ほんとうにユガユガだど自分でも呆れる。これは根性というものに相当作用されるのだろうか。      石膏耐火ボードが張りあがった。
張りあがった石膏ボードには、春になってから壁材を塗る予定である。
色はもう決まっていて、「さくら」。勿論、自然素材のエコ壁材である。
不思議なのだ...。グラスウールが入り石膏ボードを張っただけなのに、ずいぶん暖かい。
屋根の片面はまだ断熱処理がされていないので、暖気は抜けているはずなのだが、それでもずいぶん暖かい。
無垢の木のせいか、普段でも山の家では安眠効果抜群なのに、ますます爆睡の感あり...。
温もりが夜中抜けないので、冬場の就寝時に今まで離せなかった正ちゃん帽にも、やっとさよならできることになった。
手を掛けた時間が目に見えて返ってくる作業は、ほんとうに嬉しいものだ。

「遊ぼうよ、遊ぼうよ!!」と誘惑する私に渋い顔をしながらも、kiiさんは結構楽しげに雪や氷と親しんでいる。
大雪に閉ざされる地域は本当に大変だが、幸いなことに40〜50cmほどの積雪で冬を越えるこの地域はこんな遊びも楽しい。
旭川の南さんに教えていただいた風船氷でアイスキャンドルに歓声をあげ、雪だるまを作ったり、ソリ遊びを楽しむ。

自然の豊かな所で暮らしたいと思った。
季節のメリハリがハッキリした土地なら、なお嬉しいと思った...。
私たちがなぜここを選択したのか...。
こんな冬の過ごし方もその理由の一つであると、これは友人、知人にもなかなか理解してもらえないことである。−10℃、積雪42cmと聞くだけで、怖気をふるう人が多い。
過疎の村で、しかも交通も買い物にも大層不便な土地、町の人間が享受できる諸々の支援や文化的な事柄からも、医療施設からも遠い地域に住むことを恐怖だという。
町で暮らすことの利便性と山の村で暮らすことの不便を考えたら、確かにマイナス面だけが勝っているように思われるが、果たしてそうだろうか??
都会から見た田舎、田舎から見た都会、それぞれにプラス面もあればマイナス面もある。
それは、自身の主眼をどこに置くかでまったく異なったものになる。
幸いなことに、宅急便も来ない、ネットさえ繋がらないというもっと山奥の村ではないのだから、文化などは求める気持ちさえあれば何とかなるものだ。医療施設がないと嘆くより、動いて鍛えて、健康に過ごせることを良しとしよう。
山で暮らす老人は独り居あるいは夫婦二人が多いようだが、皆元気である。
元気で居なければ仕方がないからか、それとも元気を装っているのか...。
どちらにしても
簡単に買い物が出来ない環境は、野菜の自給へと繋がり、老齢でも畑仕事をしている人が多い。
それがまた健康に繋がるといえないこともない。
85歳で山を管理されている人や、90歳を越えて独りで暮らし、畑仕事に精を出している人がいると聞くと、かくありたいと願わずにはいられない。
自身が動かなくては何も出来ないという環境は、個々を強くし、医療費の削減にも大いに貢献していると思うがどうだろう?

少々不便でも、豊かな自然と好きな花や木々に囲まれた、潤いと情緒がある日常生活を送れるほうが私たちにはベストの選択だった訳だ。
だからといって、これはあくまでも「私たちにとっては...」なのである。
でも多くの人は、私たちの選択に対して今だに引く姿勢を見せる。
そんなとき、私はにっこり笑ってこう言おう。「老年は荒野を目指すのだ!!

ガッチリ組んであるログやリビングキッチンは、今更何も心配はないはずなのに、kiiさんはLKの大黒柱周辺の補強に取り掛かっている。
屋根関連の作業ができない季節だから、今の内に片付けておこうと、杉を伐採し皮を剥き始めた。
「そこまで必要?」と訊ねる私に、「より安心でしょ。」とkiiさん。
大黒柱に丸太の筋交い4本、大黒柱と交差する梁に同じく丸太で火打ち12本を付けるのだとか。
そりゃぁ、よりガッチリになるだろうけれど...。
kiiさんは家造りに関する作業をこなし、私はしつこいススキの大株をツルハシで引き抜いている。
庭のあちこちにたくさん生息しているススキは、抜いても抜いてもきりがない。
足腰バラバラだとこぼしながら、それでも、継続あるのみだと頑張っている。
バシッ、バシッと片付けながら、これがまた快感なのである。
冬の運動不足を一気に解消した上に、庭内が綺麗になるときたら言うことはない。

胸にあるは花咲く季節。ツルハシを握る手にも力が入るというものだ。
・・・私たちは、今はこんなことをしながら過ごしている。

雪と氷の中で、kiiさんにとっては初体験のことがあった。
北海道は十勝に住んでいたころ、亡母が作るご馳走キムチがとっても美味しく、それを目当てに訪れる客も多かった。
キムチには棒ダラやスルメ、ミガキニシンや果物、昆布、まだまだいろいろ入っていたような気がする。
凍ってシャリッとなった時の美味しさはまた格別だった。
その頃は辛さが苦手で、私は白菜よりご馳走の部分をつまみ食いしては叱られていた。
その話をすると、、kiiさんは「旨そうだなぁ。」とは言うもののなかなか想像の範疇を出なかったのだが、たまたま猪飼野で買い求めてあったキムチを一晩外に放置してみた。
シャリッと凍ったキムチは冷たくて身震いするようだが、甘みが増して絶賛の美味しさ。
ご馳走部分はないけれどこんなに美味しくなるんだなぁ...。平生食していたキムチと同じものとは思えないね。」
kiiさんもやっと、シャリシャリキムチの美味しさの一端を感じてくれたらしい。
ご馳走キムチの実物を早く口にしたいとのkiiさんからの要望だが、はてさて、この年の暮れまでの宿題ということにしておこう。

  

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