つれづれなるままに

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2008年1月
  
/11 お雑煮のこと
各地、各家で多種多様な雑煮は、お気に入りの「たべもの語源辞典(清水桂一編)」によると昔は烹雑(ほうぞう)といわれ、煮雑(にまぜ)から雑煮へと変じたそうな...。
いろいろのものー餅、大根、芋、芋頭、昆布、打アワビ、いりこーなどを煮混ぜたから雑煮と呼んだらしい。
元日に雑煮を祝う風習はすでに室町時代からあったそうだが、江戸の頃には元日だけの食べ物ではなかったという。
ちなみに、かの有名な広辞苑には【雑煮…餅を野菜・鳥肉・魚肉などとともに仕立てた味噌汁、または清汁(すましじる)。新年の祝賀に食する】とある。
変わった本が結構多い我が家には全国各地の雑煮を扱った本もあったはずなのだが、たくさんの蔵書の中に埋もれていて、今は見当たらないのが残念である。

角餅か丸餅か、焼くか焼かないか煮込むか、出汁は鰹節か昆布かそれとも魚類か、味のベースは醤油か塩か味噌か、味噌は白か赤かそれとも...、そして具は何を入れるか...。
雑煮談義はお国自慢にも似て楽しい。
島根の小豆雑煮や海苔雑煮、各地にあるブリ雑煮などを味わってみたいと思う。
いろいろな雑煮があるが、その中でも香川の餡餅雑煮は個性という点で秀逸なのではないかと思う。
ぜひ一度、味わってみたいものの一つである。
それも餡餅で白味噌仕立てというのがなんとも想像し難いのだが、それぞれの地方に古来から伝わる味わいを、賞味せずして云々するなかれ、である。
大阪も白味噌仕立ての雑煮だというが、私はまだ食したことがない。
白味噌仕立ての雑煮自体が私には馴染みのないもので、どこそこの白味噌でなくては、などというこだわりさえも理解できないでいる。

我が家の雑煮は、母が自己流にアレンジしたものが長年のうちに私流に変化したものだが、それが我が家の雑煮になって久しい。いうなれば「北海道風」だと思っているが、果たして北海道ではこんな雑煮を食しているのかどうか、まだ確かめたことはない。
(1)餅は丸餅で焼く。
(2)出汁は昆布と鰹節でしっかりとり、清まし仕立て。
薄口醤油に味醂、酒、塩で味を整える。
(3)具は小芋、大根、人参、絹さやを適宜、小松菜はたくさん、柚子、
そして塩イクラがたっぷり乗り(これは醤油漬けではいけない。必ず塩イクラのこと。)、その上に削りガツオがまたたっぷり乗る。
野迫川に行けない週が多かったから(これは言い訳?)、いざ雑煮をいただこうというそのときまで、雑煮椀を出すことを忘れていた。
元旦は大振りの木の椀、二日目は陶器、確か同じ場所に仕舞ったはずなんだけど、積み込まれている段ボール箱の中か何処だったかと探しまくる。
「お腹が空いたし器は何でもいいよ。」「そうだね、マッいっか。」の間に合わせになったのがお粗末。
人参も型抜きが見つからずサボったけれど、こんな状態ということはわかっていただけただろうか。
器がどうであれ、人参の型抜きができなかろうと、小松菜が不揃いだろうと、上記の(1)〜(3)までは絶対に譲れない必須条件である。
娘はこの雑煮がごく普通の雑煮だと思っているし、それは彼女の記憶の底にも刷り込まれていることだろう。
(私めの名誉のために、いずれきちんと作りきちんと盛り付けて画像を出しますので、今回は拡大画像とはリンクいたしません。)
塩イクラのエキスが熱い出し汁に溶け出し、削りガツオが湯気でユラユラする様を楽しみながら戴くのが我が家流。
これは一杯では納まらぬ美味しさで、二人とも一杯あたりのお餅を減らして二杯は食べたい口である。
これだけウンチクを傾けたら、私も雑煮談義にしっかり仲間入りしたことになるだろうか...。

ところでイクラだが、今年は塩イクラを漬ける暇がなく市販のものを利用したが、これがやはりいけなかった。
時間がなくても面倒でも、塩イクラは自分で漬けるべしと肝に銘じたことである。
   


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