つれづれなるままに

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2008年3月
  
 【黄金(こがね)飯】

3/13 黄金(こがね)
さだまさしは好きなアーティストで、野迫川への道中では彼のCDをよく聴く。
といっても最近の活動はあまり知らず、CDも古いものが多い。
「グラスエイジ」は好きな一枚だと以前のひとりごとにも書いたが、その他には「帰郷」も愛聴盤である。
ただ、これを聴くときは心しなければならない。
他人と一緒の折などは絶対にかけられない。
収められている「転宅」を聴きつつ、ついうっかり涙をぼろっと流し、慌てて周囲を見回すなどという図がまれにあるのだ。
初めてその場面に遭遇したときのkiiさんの表情ときたらなかった。
だから、必ず独りでいるときのみの限定盤なのである...。
この歌に出てくる転宅は哀しい。
そして坂道を転がり落ちるようなこの転宅に、幼い頃の一時期を重ねている。
亡父が事業に失敗し、或いは保証人に立っては足元をすくわれる度に、(亡父は人を見る目がまったくなかった)、移り住む先は小さく粗末になり家財道具も少なくなっていった。

その頃の思い出の一つに「黄金(こがね)の飯」がある。
家計をやりくりしてどうにもならないときの苦肉の策だったのか、雑穀入りのご飯が頻繁に登場したものだ。
昨今は健康ブームに乗り、また生産も限られるせいか雑穀は高価なものになっているが、当時は麦、粟、黍なとは貧乏人の食するものと決まっていた。
転宅するたびに、雑穀が混ざる頻度もその割合いも増していったような気がする。
貧乏な家庭だったのにひもじさをあまり覚えていないのは、母の努力のお陰だろう。
「黄金(こがね)飯」というのは餅粟入りのご飯のことである。
だが、「今日は綺麗なこがねご飯よ。」と子どもたちに告げる胸のうちで、母は何を思っていたのだろう。

あの時期は多くの人が貧しさに喘いでいたが、今ほどの悲壮感を感じなかったのはなぜだろうか。
住まいも食生活も質素だったが、和やかで人情の厚い時代だった。

「転宅」と「黄金飯」のあの頃を振り返りたくはない。にもかかわらず、最近妙に餅粟のご飯が食べたくなる。
ある日の野迫川の昼食に、買い求めた餅粟でご飯を炊いてみた。
餅粟は250gしかなかったので、上にうっすらと乗っているだけだが...。
フワッと立ち上る香り...。 艶やかな黄色と白いご飯の対比がなんとも美しく、フワッとやわらかくたちのぼる懐かしい香りに胸が痛くなる。
「あぁ...。」と、それっきり言葉が後に続かない。
長い歳月を経て、ようやくこの粟飯を再び口に出来るようになったのだと...。
艶やかで美味しい♪
品種や加工法などがさほど変化したとも思えないが、あの頃あれほどに厭うたこの黄金飯が、これほど美味しく思えるのはどうしてだろう。
「これはいける。ほんとうに美味しいよ!!ほんのり甘味があり、モチモチして香りが高く、なんともいえない風味がある」
kiiさんもそう絶賛するところをみると、一概に私の郷愁だけとも思えない。
開拓が少し落ち着いたら、雑穀作りはぜひ挑戦してみたいものの一つである。

野迫川を求めた気持ちの底辺にずっと眠っていたのは、「あの頃」への回帰だろうか。
諸々を削ぎ落とした先に見えてくるものは、果たして何だろう...。
     


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