つれづれなるままに |
2008年2月 |
2/15 | 食のこと | ||||||
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中国産冷凍餃子による中毒症状に震撼とし、ついに、の思いを抱かれた方も多いのではないだろうか。 このところ、買い物の際に表示を確認している人を多く見かける。 また「何を使ったらいいんだろう。」と途方にくれている人や、「安いのが一番なんだけど、国産は高いしねぇ。」と話し合っているお母さんたちもいる。 我が家は二人暮らしだからまだいいが、これが育ち盛り、食べ盛りの子どもを抱える家庭なら何かと大変だろう。 冷凍餃子で被害に遭われた方たちはほんとうにお気の毒で、一日も早い本復を祈っている。 決してうやむやにすることなく、原因の究明をしっかりつけて欲しいと思う。 我が家は購入した冷凍食品はほとんど使っていない。 現在でもミックスベジタブルが一袋入っているだけである。(別の国のものだが、不安を感じていないわけではない。) 某国の大河と土壌の深刻な汚染状況などを読んだのはかなり以前のことだったが、そのとときに背筋が寒くなり、以来、彼の国の生産品は可能な限り我が食品庫から姿を消したのである。 最近では2007年5月21日付けのA新聞の朝刊も、衝撃的で記憶に鮮明に残っている。 タイトルは「中国食品募る不信」だった。サブタイトルの「日本の検疫「ざる状態」」にやはり、の思いがあり、ますます不信感を募らせていった。 国内の生産物でさえ安心できない、口に入れるものの安全性を見極めることの難しさを痛感させられたのが、 「食品の裏側」阿部司著だった。 そして・・・恐くて何も買えなくなった...。 水も空気も食品も、身体に取り込むものが安全ではない世の中がまともであるはずがない。 それなのに、国の内外を問わず昨今の企業の横暴ぶりは目を覆いたくなる。 特に食に関するものにそれが多いのは嘆かわしい。 消費者など、躍らせて金を使わせるためだけにある。としか考えていないのだろう。
「目を光らせアンテナを張り巡らせ、自衛しなければ生き難い社会にしてしまった原因は何だろう。」と憤りは感じつつも、日々の生活をやり過ごしていかなければならないのだ。 しかし原産地表示を確認し、カタカナ添加物を排除していくら自衛しても、原産地表示の必要がない加工品に化けて、堂々と大手を振っている有様を見ると諦めに似た哀しみが心を覆う。 もともと出来合いの物は味が濃いので苦手、よほどのことがない限り自家製を旨としている。 面倒なときもしばしばあるが、“なんといっても手作りが一番美味しい筈だ。作れないものや高価なものは無理に食べなくてもいいのだ...。”と。 素材に関しても然り。 庶民は、できるだけ「旬の新鮮、安心、安価なもの」を手に入れようと心を砕く。 食に対する姿勢というものは生き方とも重なり、娘へ、そしてその子どもたちへ脈々と受け継がれていくものだと固く信じているから...。 ところで、今回の冷凍餃子事件で一般向けに店頭に並んでいる商品以外にも、業務用の中に多数の回収品目があったのには驚いた。 安価な外食産業がこういうものを利用せずに成り立つわけはないのだろうが、一般消費者はそこに潜んでいる危険性をどういう風に見極めたらいいのだろう。 もっともこれらはごく一部であり、良心的に経済活動をされている方たちがほとんどだと思うが(そう信じたい)、そのごく一部の人間が、良心的な人たちの信用まで失墜させるようなモラルの無さ。 低いのではない、無いのである。それが近年甚だしすぎるのではないか。 消費者はこれは氷山の一角なのではないかと不安が増大し、自衛手段としてシャットアウトすることになる。 あげく風評被害などでとばっちりを受けるほうは、迷惑どころの話ではない。 道徳観念や品性の欠如は、その国の政治がいかに貧困かということに尽きるのではないだろうか。 民が民なら官も官、だがそれを横行させているのは、諦めが先に立ち物を言わない国民なのだ。 安心と安全は食の両輪だと思うが、それらに対して常に後手後手の対策しか出来ない政治や行政の甘さが、子どもたちを蝕むことにならなければよいがとそれを一番案じている。 症状が一気に現れるものは対処しやすいが、長い時間をかけてじわじわと、その責任の所在さえ判明しなくなってから現れるものの恐さ、そういうものに対する危機感は意外にあまり重きを置かれてはいないように感じるのである。また、自給率の低さと食を海外に依存することの危機感など、食に関する大切な問題を、改めて考えるべきではないか。 愛読書のひとつに「奇跡を起こした村のはなし」(ちくまプリマー新書・吉岡忍著)がある。 その中にこんな一文がある。 「スイスのスーパーで見ていたら、見てくれも悪いし、あまりおいしそうでもなく、それでいて値段の高い野菜からさきに売れていく。となりに安くて、よく出来た野菜が並んでいるいるのに、ですよ。よくできたほうは外国からの輸入品で、高くて、見てくれの悪いほうは国産なんです。なぜだって聞くと、『スイスの農家のつくったものを食べたい。国内の農業と農家を大切にしたいんだ』と。・・・以下略」 |