つれづれなるままに

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2007年|3月4月5月9月
2007年2月
  
ねぎ・#2ねぎ・ネギ・葱
    
2/28 ねぎ・#2
大好きな葱の話が続く。

農文協から出版されている「健康食ねぎ・にら」(共著者多数)を読むと、葱の歴史も奥深く実に面白い。
たかが葱と言うなかれ...である。
この本によると、葱はシベリア方面から朝鮮半島を経由して日本に入ったもので、生地は中国西部といわれているが定かではないそうな。
古名は「キ」(葱)で一音で現された植物は他にはイ(葦)とユ(柚)があるのみとか。
青い部分の下部の重なり合った部分を根に見立てて根葱(ねぎ)と呼ばれ、そののちに葱の一字でねぎと読むようになったという。(この葱の歴史に関する部分は平野雅章氏の著になる。)
日本の文献に葱が登場するのは日本書紀だというから、歴史の深さは覗えよう。
清水桂一編による「たべもの語源辞典」によるとナギ(和葱)から転じたという説もあるという。

以前から古色の呼び名に興味があるが、浅黄や萌黄の本来の字は浅葱、萌葱であったなどとはまさに目からウロコが落ちる思いだった。
江戸時代には既に黄の字が使われ、それを諌める書物もあったそうだから、何でも略式化してしまい、本来の意味を不明瞭にしてしまうことは今も昔も変わらないようだ。
葱の若芽のように鮮やかな緑色が萌葱、薄い青緑色が浅葱、後世になると淡い藍色を浅葱と呼ぶようになったそうである。「日本伝統色・色名図鑑」を見ると、萌黄、萌葱ともに緑に分類明記されているが、若芽のように鮮やかな緑というならば、ここでは萌黄とされているもののほうがそれに近い。
萌葱のほうは、後世では濃緑色を指すようになったとか。
この色名図鑑は後世の分類に従っているようで、浅葱は青に分類され、それも薄浅葱・水浅葱・中浅葱・煮浅葱・濃浅葱と分けられ、中浅葱が浅葱に充てられている。
鬱葱(ウッソウ)という言葉があるように(鬱蒼ではなく)、葱はソウと読まれ、植物が繁っている様子をいう。
ねぎの地上部分を浅葱と称したというが、これでは言葉の持つ本来の意味と色との結びつきがまったく判らなくなる。
時代と共に変遷していくことが、果たしてよいものなのかどうか。 

かなり昔に手に入れたものの、積んであったこれらの本を読みながらこんなことを考えている。
そして、書籍は好きで相当に所有しているものの、使いこなしていないことを今再び自覚している。
たしか漱石の一文にもあったのではなかったか...。
定かではないが、多くの書籍を持つことよりも、読みこなして精通することのほうが大切だという意の文章が。 
どこで読んだのだったか・・・心が痛む。

ところで、先に買った泥つきの葱は、余すことなく腹中に納まったのだが、中でも一番美味しかったのが、ただ焼いただけのもの。
以前バーベキューで太葱を焼いたところ、それがとても美味しかった。
安価でたくさん手に入ったときこそ、焼き葱をするに相応しい。
オーブンでこんがり焼いた葱の皮をひとめくりして、トローリ甘い中身をいただく。
甘めの味噌ダレをつけても美味しいが、オリーブオイルに塩を少々入れ、それを付けながらいただくのもよい。
シンプルで私はこれが一番好きだが、kiiさんは味噌のほうが好みのような。
オリーブオイルで食する際の塩は、上質のものを使うとなお美味しい。(と思っている。)

先日のひとりごとで「鴨がネギを背負って」という言葉を書いて以来、しきりに「鴨なん」を思い浮かべている。
葱を南蛮と呼ぶのは、昔健康保持のために南蛮の人が葱をよく食したことによると、先に記した清水桂一編による「たべもの語源辞典」“なんばん”の項にある。
膝栗毛には上方の南蛮餅が出て来るそうだがこれは葱入りの雑煮餅のことで、かっては大阪難波(なんば)が葱の名産地だったことから“葱=なんば”になったとの説もある。
ただ、「鴨がネギを背負って」という言葉から鴨と葱のドッキングは推測されるとして、どうして鴨が鶏肉なのかという点はまったく不明である。
鴨南蛮が初めて世に出たのはもう二百年以上も前の江戸時代のことだというが、その当時は確かに鴨だったのかもしれない。
時代が下がって、鴨が簡単に手に入らなくなり鶏肉で代用したということなのか。
この鴨南蛮の麺は蕎麦だったらしいが、最近ではうどんもあるようだ。
関西では鴨なんばあるいはもっと詰めて鴨なんともいう。
昔々に私は、「鴨が入っている...。」と思って注文し、「どうして鶏肉?」とガックリした覚えがある。
字面を信じて、てっきり鴨だと思い込んでいたのだ。
その頃からこの鴨なんと鶏なんの不思議な関係には首を傾げている。


北海道に住んでいたころ、なんばんといえば唐辛子であり、なんばといえばとうもろこしのことだった。
周囲の人はとうもろこし・とうきびなどと呼んでいたが、我が家ではなんばという呼び方も通用していたように記憶している。亡母は愛知の人だったが知己には関西の人が多かったから、薄口の醤油やなんば黍は身近で親しい言葉だったが、そのなんばが葱のことをも指すとは、言葉とはほんとうに不思議で面白い。
  
2/07 ねぎ・ネギ・葱
2004年10月のひとりごと「埼玉にて(1)」にも書いたのだが、再び葱の登場である。

所用があり大阪・天王寺に出かけた折の話である。
天王寺はJR・地下鉄・近鉄・阪堺電車や遠距離バスの発着もあり、南大阪の交通の要である。
そこに近鉄百貨店阿部野橋店があり、その地下、いわゆるデパ地下はとても賑やかである。
B1は有名和洋菓子店や乾物・茶舗が多く入り、調味料や特殊な食品などがたくさん取り揃えられたコーナーもある。B2は生鮮野菜や魚類・肉や加工食品などが主に売られている。
どちらもかなりの繁盛ぶりなのだが、B2ときたら疲れるほどの人の群れである。
私が寄る場所はいつも決まっていて、B1は調味料コーナー、B2は数軒の魚屋さんを見て、湯葉や生麩の店を覗き、野菜を買って帰るというパターンである。
その日もまずは調味料コーナーで赤おろしを買い求める。
赤おろしは山口県萩市にある柚子屋本店のもの。
ラベルには本格もみじおろしの素と明記されている。唐辛子と天然塩が原料で、着色料などは使用していない。
かなり以前には、別の地域の同じようなものを利用していたが、なんとも塩分がきついと感じていたところにこの赤おろしと出会い、それからはこれ一辺倒である。
塩辛さが抑えられていて、味わいも風味もよい。
我が家の鍋は西吉野の青ゆずごしょう(左)と赤おろし、そして徳島の宮本さんの手になる無農薬の柚子酢がなければはじまらないと言っていい。

この赤おろしは本格もみじおろしの素というほどに、大根おろしと混ぜ合わせてもみじおろしにしたり、そのままで炒め物やラーメンなどにも使う。
おっと、つい話が横道に逸れてしまった。
赤おろしを買い求めた後、B2に降りる。
ところが今回はどういう気分だったのか、いつにないことにまず野菜コーナーに直行したのである。
今考えるとネギが呼んでいたとしかいいようがないのだが...。
泥つきネギが積まれている場所に、まるでスルスルと糸に引かれるように辿り着いた私は、気がつくとその前に佇んでいたのである。
それも大好物の埼玉のネギである。
野菜はなんでも好きだが、薬味野菜の好きには山ほど大が付く。
なかでもネギは格別で、薬味用の細ネギをはじめとして、ネギ系の全てが好みである。
私のネギ好きは、どうも亡母の嗜好をそっくり受け継いだものらしい。

これは買わずに帰られようか...。迷わずに三束を買い物カゴに入れる。
ズッシリと重い...。
一束198円という安さに、続いて4束目を手にとってハタと考える。太ネギでしかも一束6本入り...。多すぎるか否か。考え込んでいる私の横に数人の人が集まり、口々に尋ねる。
「こんなにたくさんのぶとい(太いの意)ネギをどうするん?」
「こんなに買うても、ネギなんて大して使い道ありまへんがな。」
「ようけ買うてはるけど、これ、美味しいんでっか?」「これ白ネギやろ。青いとこは要らんのにな。余計や。」
「アッ、ネギってそんな風にしか思われていないんだ...。可哀想に。」とこれは私。
この可哀想というのは、勿論、知られていなくて可哀想な葱と、知らなくて可哀想な人々を指す。
私には、好きな野菜に出会いかつそれが安価だった折には、大量に買いこむ悪い癖があり、それが目立つのか数人に囲まれてしまい、その場で即席の料理講習ということがしばしばある。
私の知識なんぞたかが知れているけれど、その結果、食べてみようと買っていく人もいるのだから面白い。
メモも取らずに頷いていた年配の人は、あの新顔の野菜をどうしただろうかと不安になることもあるが...。

多くの調理法を知っているわけではないけれど、太ネギはメインの料理になるぐらいに美味しいものなのですぞ。
特にこの季節はトローリ甘くて、実に旨い...。
「買うてみよかな。」と手を出す人たちを横目で見ながら、「しめしめ...。」と内心ニンマリしている私は、ネギへの貢献度がなんと高いことだろう。

帰路の電車に揺られている間も、人々の視線がチラチラとネギに注がれているのを感じる。
長い青葉は折りたたまれて共にビニールに包まれているから、香りは外には大して漏れないけれど、これが剥きだしだったら相当のヒンシュクを買うに違いない。
私にとってはいい香りでも、臭気だと感じる人も居るだろうから...。
電車を降りて徒歩で我が家に辿り着くまでは難渋した。
実は、今回はこのネギのほかに結構分厚い本が6冊、荷物の中に有ったのである。
こんなことならリュックを持ってくるのだったと、ズシリと重みを増したネギを抱え直しながらふっと思う。
鴨がネギを背負ってというが、それでは鴨ネギならぬ婆ネギではないかと、その姿を想像して一人顔を赤らめる私だった。
    


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