つれづれなるままに |
2007年3月 |
3/20 | 玉子は卵 |
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万人が好む玉子焼きだが、それぞれに味や焼き方の好みがあるもので、それは生家の味というか、母から子へと伝えられたものであることも多いようである。 我が家も玉子焼きは好きだが、kiiさんと私では好みがまったく違う。 kiiさんは塩味好みで、時々の気分によって単なる卵焼きからバター風味焼きになったりする。 巻き玉子にしたりフワフワ玉子や出汁巻きにしたりも気分しだい。 あれこれと注文をつけられるので面倒になり、「卵は各自焼くべし。焼かない人は焼いた人に従うこと。」と決めている。 私は少し甘めが好みで、味のベースは塩味になったりしょうゆ味になったりする。 「しょうゆ味で少し甘めなんて...。」とkiiさんは厭そうにするが、好きなんだから仕方がない。 目玉焼きの好みもまったく異なる。 私は、仕上げに蓋をして薄く膜を張らせる、一般的に目玉焼きといわれるものが苦手。 黄身は黄色いままに、少し火を通したぐらいでトロ〜リとし、なおかつ白身の縁はパリッとなったものが好きだと、これには相当に頑固である。 おまけに塩やコショウは絶対に振らず、食べる際に醤油を垂らすだけ。 kiiさんはずっと「そんなのは目玉焼きじゃないよ。」と言い暮らしてきたけれど、だんだんに慣らされつつある。 作るより作ってもらうほうが楽だから妥協しているのだというが、時折は率先して自身の好きな焼き方で調理しているところをみると、内心はかなりお気に召さないのだろう。 玉子焼きと目玉焼きについては、意見の相違はなはだしく、多分永遠に妥協できずにそれぞれの好みを主張する二人だが、ネギやニラ入り、明太子入りをはじめとして、諸々の玉子料理にはまったく異論を唱えないところは不思議である。 そういえば、昔のお見舞いには卵がよく使われたものだった。 箱の中、敷き詰められた籾殻に鎮座ましまして貴重品扱いだった鶏卵が、今は安価で庶民の食卓には欠かせないものになっている。(もっとも、こだわり飼育で高価すぎ、手が届かないものも多々あるが...。) お弁当のおかずの定番はなんといっても玉子焼きだろうか。 ちなみに、弁当のおかずとして、私は玉子焼きとピーマンと漬け物があればそれだけでいい。 弁当箱の端っこに、玉子焼きが一切れあるだけで幸せ気分になるが、そのたびに、黄色はなんと温かく心弾ませる色だろうとつくづく思う。 玉子のタは「妙えなる」とか「たかまる」といった価値の高いものを表し、マは「丸いこと」。 すなわち価値高く丸いものがタマであり、コは愛称を表すもので「子・児」。 タマに愛称のコを添えたのがタマゴであると、「たべもの語源辞典」(清水桂一編)にある。 なるほど...。 たかが玉子などとウッカリ口にされた御仁は、心してじっと対座してみるがいい。 完成されたフォルムからは、高貴な食材の雰囲気が立ち昇ってくるではないか。 「たべもの語源辞典」は、発見したときからもう既に古びて染みだらけで、古書店の安価コーナーに捨て置かれたように並んでいたのだが、いまや愛読の書として手放せない一冊になっている。 玉子と卵の違いについては、料理などに使う食用目的のタマゴは玉子で、卵は魚や虫などの卵も含む総称としているものや、生の状態を卵・調理したものを玉子とするもの、或いは生物学的には卵で、食材目的としては玉子などと諸説あるようだ。 メーカーのパックのラベルは「卵」を使用しているようだが、これは食材目的だけれど生だからか、いずれにしても混沌としている。 私は無意識のうちに生を「卵」、調理したら「玉子」、でも何故か形が残っているゆで卵は「卵」と使い分けていたが、その根拠になったものはと問われると首をひねる。 ところでこの卵だが、五條市中之町・阪本エッグファームの白鳳卵が好き、という点では二人とも意見はしっかりと合致している。 飼料と水にこだわる卵は、黄身がこんもりと盛り上がってプリプリしている。 卵本来の旨みが濃いといえば、その味わいを想像できるだろうか。 黄身というものは手を掛けずともそれだけで充分に美味しいものだが、白身の美味しさたるや、これもまた、調味料などは必要ないほど・・・なのである。目玉焼きやゆで卵でいただくとそれがよく判る。 様々な卵を食し、価格や味わいを云々し、ようやく行き着いたのだが、今は「阪本エッグファームの白鳳卵」が一番のお気に入りである。 |