つれづれなるままに

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2007年|2月3月4月5月

2007年9月
  
/27 種子を求めて
町に出た折に天王寺にある赤松種苗店に立ち寄った。
古くからある種苗店で、1809年の創業とか。当時の面影を残した建物は、なんともいい雰囲気である。
私は時々訪れては、特殊な野菜の種がないかと探している。
特殊な野菜というとなにやら怪しげだが、固定種・原種・在来種と呼ばれいまや絶滅危機にあるような、昔からの、あの濃い味と香りがプンプンする野菜のことである。
この春には、「大和三寸キュウリ」なるものを発見。嬉々として購入してきた。

遺伝子組み換え、F1全盛と言われる時代に、原種に拘ってもいいじゃないか...。
農を生業にしている人たちから見れば、歩留まりが悪く個性が強すぎる在来種よりも、品質が安定していて収益に繋がる品種のほうがいいに決まっているし、原種に拘るなど素人の戯言だと切り捨てられるに違いない。
これは、それぞれの立場で取捨選択すればいいことなのだから、私はこうありたいと思うだけで、他を云々する気持ちは毛頭ない。
ところで、種子の棚を眺めていて驚いた。最近は何とF1品種が多いことだろう。
F1でない品種を見つけ出すことが、まるで宝探しのように思えるぐらいに少ないのだ。
ということでこの際再び勉強してみた。
「遺伝子組み換え作物」
1)害虫に対する抗性・・・植物自らが殺虫性の毒素を作れるようし、その作物を食べた幼虫が死んでしまう。(ということは益虫とされる虫も死ぬということ?)
2)除草剤に対する耐性・・・特定の薬剤に耐性を作り、その薬剤を使用していれば枯れない仕組み。
3)日持ち向上・・・収穫後の作物の日持ちをよくする
これらは生態系にも影響があり、在来の作物の中にも、虫や風によって、この遺伝子を組み込まれてしまうものが出始めているというニュースを耳にする。
遺伝子組み換えは農業の工業化ともいえるようで、多大な収益をもたらすというが、反面、それが人体に蓄積されていくことを考えると次代・次々世代にどんな影響を残すものかと懸念がある。

「F1品種」・・・「一代交配種」とも呼ばれる。
望み通りの品種を作るためにバイオテクノロジーによって生まれたもので、遺伝子組み換えとは異なる。
F1品種は一代限りなので種が採れず、また採れて蒔いても一代目の優勢な部分は出ず、劣勢の部分が出てくるのだと聞く。また種子が出来ないようにすることも可能だそうで、これには企業の経営戦略が絡んでいる。
要するに毎年種子を購入しなければならないということ...。
仮に種ができたとしても、複雑な交配の過程を経ているので、そこから優良種を選抜していくためには長い年月が掛かるのだそうな。
作物を作る側にとっては「天候や害虫に左右されにく、品質も収量も安定する。おまけに見た目もよい。」といういいこと尽くめであり、また利用する側には「形が綺麗で調理しやすい。」という利点があり、したがって、いまや店頭に並ぶ多くの野菜がF1品種(一代交配種)なのだとか。
ズッキーニは大好きな野菜だが、これがまた何処で探してもF1品種しかなく、これこそが企業の思惑なのかと抵抗を感じているのは私だけだろうか。
F1品種は有機農法とは相容れないものだとも聞くが、これに関しては種々差しさわりもあるようで、興味をもたれた方が個々に調べられては如何だろう。
調べていくとなにやらいろいろ・・・なのである。

左は自家採種、在来種を探索するために参考図書として愛読しているもの。
在来種には気難しく手間がかかり見目も良くないなどの欠点はあるが、風土に根ざして長い間育てられてきた伝統と、また在来種の持つ旨みも大いにあると思っている。
それはかなり個性的な旨みで、好き嫌いも確かにあるのだろうが...。
ただ、いくら在来種に拘っても、他の畑の花粉と交配すれば、数年で品質の変化に見舞われる可能性もあるやに聞くと、有り難くないことである。
奮戦記にも書いたが、私は野菜の苗はよほどのことがない限り買いたくない。
なるべく種から育てたいほうである。
これは、生まれ育った十勝で、種を蒔き慈しんで育てた母の美味しい野菜を食べた記憶のせいかと思っている。
納屋に吊るされたたくさんの野菜の種が、季節になるとまた大きな実りを生み出す。
日本に昔からある野菜の自家採種に拘ってみたいのは、そんな原風景の影響が濃いのかもしれない。

「遺伝子組み換え作物」「F1品種」については、これからも私なりに学んでいきたいと思っている。
 


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