つれづれなるままに

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2007年|2月3月4月9月

2007年5月
  
【最近の事情は...】
    
/25 最近の事情は...
久しぶりにkiiさんとスーパーに立ち寄った折のこと、惣菜売り場の前で彼がギョッとした声を上げた。
「錦糸玉子って大抵は家で作るよね。最近は出来合いが売っているの?」
私は義理の息子と同じようなことを尋ねるkiiさんに、つい笑ってしまう。
娘の連れ合い殿は「玉子巻きって作り方は難しいの?買っている人が多いけれど...。」と、やはり吃驚していたそうな。
娘は「お箸でクルクル、簡単に作れる。」と答えたそうだが、それを聞いて、小さい頃から食に関するしつけをしておいてよかったと、内心ニッコリとしている。
何事でもそうだが、幼い子らが興味を抱きはじめたときに、その好奇心の芽を摘むことはよくない。
忙しいときはイライラするが、そこはじっと辛抱が肝心である。だからこそ、子育ては親育てだともいうのだろう。
日常の中で娘と実践してきたことが、またその子どもたちに受け継がれていくことを考えると、何事も疎かにはできないものだと思う。

ところでその玉子巻きだが、娘にその話を聞くまでは、私も売っていることを知らなかったのである。
玉子焼きはそれぞれの家庭の味で、自分で作るものだと思い込んでいたから、そう聞きながらも半信半疑だった。
ある日、それを見つけたときは驚いた。横には錦糸玉子まであるではないか。どれも形が整っていて、実に綺麗だ...。
多分今までにも見てはいたのだろうが、意識の外にあって目には入っていなかったのだろう。
日によって味が違う玉子巻きや、少々(いや、かなり)厚かったり太かったりする私の錦糸玉子を思い浮かべて苦笑する。

しばし眺めていて驚く。結構買う人がいるのである。
それも職業婦人風ではなく、いかにも主婦という風体の人たちで、若い人に限らない。
家庭の味を放棄するほど忙しいのか、それとも、買ったもののほうがよほど美味しいのか、作るのが面倒なのか...。
答えを知るのが恐い。
出来合いのものを云々する気は毛頭ないが、なにか釈然としないものがある。
名代の玉子焼きとして暖簾を誇る店もあるようだし、それはおそらく舌鼓を打つほどの上物なのであろう。
だが、それは価格的にも、日頃おいそれと一般の家庭で口に出来るものでは有るまい。
そういう玉子巻きは別物として、普段の卵ぐらいは自分で焼き、子どもに母の味わいを記憶させて欲しいものだ。

そんなことを考えながら、昨秋の某ラジオ番組での話題をふっと思い出した。
幼稚園の運動会のことだったように記憶している。
お昼は親子でお弁当・・・のはずだったが、最近は、アングリと開いた口が塞がらない光景をしばしば見かけるのだとか。
園庭にバーベキューコンロを持ち込んでジュウジュウ焼肉をする人、ピザの宅配を届けさせる人、コンビニや弁当屋さんの弁当を大量にぶら下げてくる人...。
それぞれの家庭でいろいろな事情があり、弁当作りが困難な場合もあるだろうから、お弁当屋さんの弁当を否定するつもりは毛頭ないが、それにしても、それが大量にとなると首を傾げる。
またバーベキューや宅配ピザにいたっては、TPOを弁えないのもはなはだしい。
宅配ピザの話にはオマケがある。欲しい人は集まれ!と声を掛けたからたまらない。
周囲にいた子どもたちは、お弁当そっちのけでピザに殺到したのだそうな...。
放送で流す以上、満更無かった話でもあるまい。
かの世界にも倫理の欠如する輩がいて、時折、事実とは違う方向に暴走することがあるそうだが、話半分として聞いても呆れかえる。

生きるためのマナーをしつけ、食の大切さを教える立場の親がこれでは、先行きどうなっていくのだろう。
子どもどころか、その親の教育までしなくてはならない日本の、どこが美しいのだろう。
大切なものを見誤って驀進してきたその結果が、いっそう大きなツケとして残されていくようで暗澹たる思いがする。
もっともこんな親たちはごくごく一握りで、杞憂に過ぎないのだと信じたいが...。
 


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