突如出現した「煉瓦建築を訪ねて」に吃驚された方も多いのでは・・・。
いつか煉瓦の家を建てたいという思いがずっと胸の中にありましたが、今はログハウスに目覚めてログに夢中です。
でも、煉瓦建築は相変わらず二人ともが大好きなもの...。
機会がありましたら、いろいろな煉瓦の建物を訪ねてみたいと思っています。

Part.1・・・埼玉県深谷市へ

煉瓦への旅の出発点は深谷市・・・。
なぜなら、深谷市が日本の近代建築に大きく貢献した、日本初の機械式煉瓦工場の誕生の町だったから。
深谷を生誕の地とする故渋沢栄一氏が設立した、この煉瓦工場で製造された赤い煉瓦が、明治・大正の
建築物に多数使われたという。
東京駅をはじめとして現存する多くの瀟洒な煉瓦の建造物が、深谷の煉瓦を使って建てられているのだそうである。



←日本煉瓦製造鰍フ、今は使用されていない裏門。
苔むした煉瓦が長い歳月を物語る。

                           
                      日本煉瓦製造鰍フ敷地内
                      にある旧変電室。
                      明治39年の建設。

日本煉瓦製造鰍フ敷地内にある。
煉瓦製造技師・ナスチェンテス・チーゼが家族と暮らしてい
た事務所兼住宅である。
明治20年に建てられた木造の洋館は雰囲気もいい。

現在は日本煉瓦資料館として使われている。
ドイツの技術者フリードリッヒ・ホフマンが考案したホフマン輪窯6号窯が日本煉瓦製造鰍フ敷地内に残されている。
この方式の窯が最初に作られたのは、明治5年東京の小菅村。
本格的な機械製造は明治22年深谷で始められ、現存しているこの6号輪窯は明治40年頃の建造である。

この輪窯での焼成が停止して久しいのに、プーンと漂う焼けた土の匂いが往時を偲ばせる。
深谷というのは交通の便が良くない町。

誠之堂と清風亭のある大寄公園までは日に2本ある市の100円バスで行ったけれど、そこから日本煉瓦資料館までのアクセスがない!!

はるか彼方に小さな白い煙突が見えるのが目指す場所。
寒風吹きすさぶ土手を押しつぶされるように歩くこと50分。
「なんとひどい風ですね。」と言ったら「今日は楽なほうですよ。普段のからっ風はこんなもんじゃないです。」との答えが返ってきた。

誠之堂(せいしどう)
建物内部 化粧室 化粧室前から内玄関を臨む
故渋沢栄一氏生誕の地である深谷市の大寄公園に移築されたこの建物は、東京・世田谷に大正5年に渋沢氏の喜寿を祝って建てられたものだそうで、既に取り壊しが決まっていたものを危機一髪深谷市に移築保存されたそうである。
大正のよき時代を偲ばせるこんな美しい建物が壊されずに残されたことは、今こうして拝見できる身にしてみれば深い喜びである。
勿論深谷の煉瓦が使われていることは言うまでもない。
田辺淳吉の設計になる約112uの煉瓦造り平屋建ての建物は、どことなくカントリー風で随所に遊び心を感じさせる。
大正ロマンの雰囲気が漂う内部には、惹きつけて離さない魅力を覚えてしばし動けなかった。

一番感激したのは、この建物が下記の清風亭と共に見せるためだけのものではなく現在利用されていること。
スパニッシュダンスの会にも使われているそうで、華麗な衣装に身を包みステップを踏む人たちの息遣いや音楽がふっと聞こえるような気がして目を閉じる。

清風亭


上記の誠之堂とともに大寄公園に移築された清風亭は、大正15年佐々木勇之助氏の古希の祝いに立てられた建物。
西村好時設計の鉄筋コンクリート造平屋建約168uのスペイン風の家である。

日本の鉄筋コンクリート住宅の初期のものだそうで、コンクリート壁の内部には一部煉瓦が使われていたとか・・・。
アーチのテラスがとても素敵で、白い家と抜けるような空に南欧にいるような錯覚を覚える。

丸いテーブル、バラの花、優雅にお茶をいただく大正モダニズムの雰囲気を少しばかり想像する。
清風亭内部

張り出しのアーチ型の窓の木枠にも、その下の作り付けの椅子にも凝った昔の職人の技を見てとても嬉しくなる。
設計者と施工する人たちの技術が結びついた時には、こんなに素晴らしいものが生まれるのだと実感した。

あかね通り


日本煉瓦製造鰍ゥら深谷駅までは煉瓦を搬送するために鉄道が走っていたそうである。
当時を偲ぶ煉瓦造りの橋梁が一部残されている。
昔の鉄路は今は「あかね通り」と名づけられた遊歩道になっている。
やはり交通の手段がなく歩くしかない。
5キロほどの道のりだったが結構堪えた。

道中一緒になった地元のおば様の言葉が耳に残っている。
「交通の便が悪くてね。バスはないし、自転車じゃ年寄りは危なくて生活がしにくいですわ。緑の多いゆったりしたよいところなんですけど。」

この日私は一人テクテクと、半ば必死で計3時間半を歩いた・・・。
  

深谷駅

辿り着いた深谷駅はもう夕暮れ
東京駅を模した駅舎は旅情を誘うだろう・・・。

建物の一部には煉瓦を使っているそうだけれど、紛れもない煉瓦風。
躯体は知らないが、化粧に使用されているのは煉瓦タイルである。


今、市街地では建築許可されない煉瓦建築が、現存して美しさとぬくもりを残しているのは何故だろうか?
歴史を刻むごとに、いっそう重厚な味わいを増していく木(モク)や煉瓦が、時代の主流に立つことはもうないのだろうか・・・。
  
(2002年1月記・2007年11月加筆訂正)   


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