つれづれなるままに

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2006年|5月6月9月10月11

2006年4月
    
【どっぷりと・・・。】 【不思議な光景】
    
4/13 どっぷりと・・・。
冬場は映画や本にどっぷりと浸かりこむことが多い。
庭仕事に精魂を傾ける季節ではないので、例年それらしき傾向はあったのだが、それにしても今年はかなりのものだった。

それこそ「寸暇を惜しんで・・・。」という表現がピッタリだと、我ながら苦笑するほど激しかった。
なにしろ、時間がなければないほどのめり込むという、悪しき習性を私は持つ。

町の住まいからゆっくり歩いて20分ほどの距離に、新しくレンタルビデオ店ができ、客寄せのサービス期間中は旧作ビデオ・DVDが1本100円という安価さ。
その上、サービス券を利用すれば、何と1本50円で映画を楽しめるという。
これを逃す手はないと、せっせとDVDを借り映画を楽しんだ。
でも、それがである・・・。凡人の哀しさか、たくさんの映画をいっときに観ると、それぞれが勝手に入り混じり、結局、筋立てさえもはっきりしなくなるのである。
「数少なくても、観たい映画をジックリ観る。」式の私たちの従来の観方が、自分たちには一番合うのだと納得した次第。
それにしても、そこまで理解するのに70本も観るか??とは反省の意味も込めての自戒の弁である。

この冬は本もよく読んだ。
TVを“ながら族”する習慣のない我が家は、好みの番組がないとスイッチを入れない。
(点けている時間が少ないせいか、12年を経過している我が家のTVは、まだ立派に健在で有難いことである。)
その結果として本に流れることになる。kiiさんも私も、多分に活字中毒の気味があるのではないかと思う。
この家はどこもかしこも本ばかりだと呆れた人がいるが、本以外に何も無い家だと言いたかったのかもしれないと、ふっと可笑しみがこみあげる。
逆に、本が一冊も見当たらない家を見ると、妙に落ち着かない気分にさせられて居心地が悪いことこの上ない。
だからかもしれないが、収納に関する本を読むのは好きではない。
やり玉に挙げられる処分品のひとつとして、必ず列挙されているのが本だから・・・。

本はあまり借りて読みたい性分ではない。
図書館はよく行くが、どちらかというと「読んでから買う」ためと、「日頃読まないジャンルの本を発掘する」ために利用させて貰っている。
これ以上蔵書を増やすことが憚られ、、必要な本だけをピックアップするためのやむを得ない方法である。
新しい情報は知らなければならないと、時間があれば散歩がてらに図書館通いをしている。
ただ、我が極小都市は図書館に割ける予算が少ないのか、「他館からの借り出し」と」いうのが実に多い。
貸し出し期間はゆっくりあるのだが、他館からの借り物だと思うと妙に急かされる気分になり、あずましくない。
やはり、好きな本は手元に置いてゆっくり何度も読みたいと、図書館の蔵書マークが入った本を積み上げた傍らで呟く・・・。

この春にかけて読んだ本の中から、元気が出る本、しみじみする本、考えさせられた本などを幾つか...。
「スター・ガール」
ジェリー・スピネッリ著
千葉茂樹訳
理論社刊

「ハッピー・ボーイ」
ジェリー・スピネッリ著
千葉茂樹訳
理論社刊
「ひねり屋」
ジェリー・スピネッリ著
千葉茂樹訳
理論社刊
「HOOT」
カール・ハイアセン著
千葉茂樹訳
理論社刊
「スター・ガール」や「HOOT」「Doors」はkiiさんにも薦めて、「これはいい本だなぁ!」と唸らせた。
特に「スター・ガール」は何度も読み返して、私の大好きな一冊に挙げられる。元気が出ること間違いない。
「ドアーズ」はかなり切ないけれど、ほんとうにいい。

理論社の本が多い。
理論社はヤングアダルト(YA・13〜19歳ぐらいの世代を指して呼ばれる。私は12〜18歳ぐらいと考えるけれど...。)向けの本もたくさん出版している、私の好きな出版社の一つである。
好きな本の訳者を見ると、千葉茂樹氏が多い。
リズミカルな文調は、ページを繰る間が惜しまれるほどである。
好みの絵本ばかりを収めている棚をなぞると、その中にも訳者としての氏を発見して吃驚する。
「みどりの船」を画いたクェンティン・ブレイクは好きな絵本作家だけれど、ロアルドダール著の「一年中ワクワクしていた」の挿絵もほんとうに楽しい。
絵本も、児童書やYA向けの本も、意識して集めたものではないから、好きな傾向や作者・訳者は知らずに偏るのかもしれない。
「Doors」
ジャネット・リー・ケアリー著
浅尾敦則訳
理論社刊
「アグリーガール」
ジョイス・キャロル・オーツ著
神戸万知訳
理論社刊
「みどりの船」
クェンティン・ブレイク作・絵
千葉茂樹訳
あかね書房刊
「一年中ワクワクしてた」
ロアルド・ダール著
クェンティン・ブレイク絵
久山太市訳
評論社刊

日本の作者のものも・・・。
「宇宙でいちばんあかるい屋根」
ポプラ社刊
「カチューシャ」
理論社刊
野中ともそ著
「翼はいつまでも」
川上健一著
集英社刊
「おさんぽ」
江國香織作・こみねゆら絵
白泉社刊
「すきまのおともだちたち」
江國香織作・こみねゆら絵
白泉社刊

江國香織著の本はどれも妙に変わっている。妙に変わっているけれど、なぜか心惹かれるものが多い。
こみねゆらさんが絵をつけた「おさんぽ」や「すきまのおともだちたち」は、またとびっきり幻想的なお話である。
画像はないが、いしいしんじ著の「ぶらんこ乗り」「麦ふみクーツェ」(共に理論社刊)は、図書館で借りてウィッシュリストに加えてある。

挙げた本は児童・YA向けの本が多いけれど、これは好みの問題で、他の本をまったく読んでいないのではない。
「脳内汚染」 岡田尊司著 文藝春秋社刊
「食品の裏側」 安部司著 東洋経済新報社
「梟首の島」 坂東真砂子著 講談社刊
「<旭山動物園>革命」 小菅正夫著 角川新書
これらは最近とても印象に残った本である。

庭仕事に追われる季節がやってくると、映画も本も「積んどく」になる。
次の冬への愉しみをせっせと積み上げて、私は草引きに精を出す。
 
4/04 不思議な光景
昔は見なかった...。

信号待ちで、暮れなずむ町の様子をぼんやり見ていた私の耳に、kiiさんの声が響いた。
「あれはいったい何だ??」
前を見やると、歩行者信号が点滅しだした交差点を、5人の少年たちが横切って行く。
「どうして一人だけ走っているんだ?」
4人の男子は自転車に乗り、一人はそれを追いかけるように走っているのだ。
「自転車が無い子にどうして合わせないんだ?どうして一人だけ走らせて平気なんだ?みんなが降りればいいじゃないか!僕らが子育てしていた頃、こんな子どもたちがいたか!?」
初めて見たkiiさんには、如何にも奇異な光景に写ったらしい。
「昔」などと言えば古いと切り捨てられそうだが、我々の子育ての中でこんな光景にはお目にかかったことがない。
仮に自転車に乗らないことが彼の意思であっても、一人だけを走らせただろうか。
まさか、トレーニングのつもりで、わざと自転車に乗らずに走っているというものでもあるまい。
もしそうだとしたら、こんなトレーニングは今風の流行なのか...。
「時折見かけるのよ、こんな子どもたち・・・。」
最近の風潮だと呟いた私に、kiiさんは「信じられない。」と言葉を返した。

もっと嘆かわしい光景もあると私は話を継ぐ。
これはよく見る光景である。
数人の少年が道路を連れ立っているが、スナック菓子の袋を抱え歩きながら食べている子、たこ焼きを頬張っている子、その横でただ話しながら歩いている子・・・。
彼は路上での飲食を戒められているのか、それとも買えない状況なのかと考え込んでしまう。
一人で菓子袋を抱えている子どもは、今では珍しくない。
kiiさんは絶句してしまう。

食べるなら分け合う、分け合えないなら食べないと、それが子どもたちへの躾だった。
私たちが子供の頃にもそう躾けられたものだった。

最近は電車などの公共の場でさえ、人目を憚らず食べ化粧などをする輩が少なくないけれど、幼い頃からのこんな癖が、抜けきれないどころかますますひどくなっているように感じる。
躾のできない大人が躾の出来ていない子どもを育て、その子どもがまたと考えると嘆かわしい。

大げさな言い方だが、権力を持つものが力なきものを圧する、現代社会の縮図のようにも思えて、こんな光景を目にするたびにドキリとさせられる。
「みんな仲良くご一緒に、お手手繋いでゴールイン...。」
そんな、首を傾げる運動会のごとき平和主義を唱えるつもりはない。
人間一人ひとり、みんな違って当たり前。
でも、個性を大切にするということは、社会生活のルールを軽視していいということではない。
それが、どうだろう・・・。現代は、いかに自分勝手な自己主張が跋扈していることか。

WBCでのイチローの、あの少年のような瞳の輝きと、「素晴らしい仲間...。」のコメントを思い起こしては、かの少年たちの姿に考えさせられている。
        
 
 

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