つれづれなるままに |
2006年5月 |
5/24 | この国は...。 |
---|---|
最近の朝日新聞の声欄の投稿から気にかかることを...。 「公的医療保険で受けられるリハビリ期間には疾患ごとに上限が設けられている」という現状に対し、リハビリの中止を通告された人々の涙の投書である。 切実な問題である...。 これを改悪でなくしてなんといえよう。 医療の後退に対する危惧がかなり叫ばれているが、政府は耳を傾ける気配もない。 この国はいつからこんな国になってしまったのだろう。 5年前にkiiさんが怪我で倒れたとき、その復帰を助けたのは厳しいリハビリだった。 何とか社会復帰したいがために、辛い日々を乗り越えたkiiさんも偉かったが、適切な指導と助言を惜しまなかったS病院のスタッフには頭が下がる。 長い二年間だったが、あのリハビリが半年の期間限定だったなら、おそらくkiiさんは日常生活さえ不自由な状況に捨て置かれたことだろう。 リハビリの期間は病状によって見極めるべきではないだろうか。 無駄なことをたくさん放置しておいて、育児や教育という国を支える根源にあるものを軽視するこの国の在り方は、医療においてもこの上ないほどの冷たさを露呈した。 今私たちは、「病に倒れたら金なき者は死を選択せよ。」と突きつけられているも同然である。 病だけではない。 育児に教育、経済、世情不安、諸問題をたくさん抱えて、自衛手段もつかめずうろたえている。 弱者は切り捨てるべしという国の在り方に、賛意を示す一部の人々によってのみ、国は支えられているのではない。 処々の改悪が続いているこの現状を、憂いているのはごく一部の識者に過ぎない。 「格差があって何が悪いんですか?」と平然と言い放った首長を選んだ人々は、今何を考えているのだろう。 その御仁が首長の座についてからの5年間で、生活が悪くなったと感じている人が40%に上ることをどう考えるのだろう。 私たちは、ないものねだりの贅沢を望んでいるのではない。 せめて最小限の安心を与えてくれる国であって欲しいと、願っているだけである。 弱者を泣かせる国が、果たして真の平和国家といえるのだろうか? |