つれづれなるままに

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2006年|4月5月6月9月10

2006年11月
 
【サプリメントなるもの】【スギナのちから?】
 
11/20 サプリメントなるもの
「スギナのちから?」でも少し触れたことなのだが、山の生活というものは今更スローライフを云々するまでもなく、スローライフそのもの、である。不便この上ない所だから、手間暇を掛けることで生活が成り立っている。
その山に、過日、大量のサプリメントを土産として持参された方がいる。
私はそれを眺めながら考え込んでしまった。
善意だとは解釈したいが、ご当人は果たしてこれらのものを口にしているのだろうかと...。

近頃はサプリメントが流行しているらしい。
新聞の折込広告などでもしょっちゅう見かけるが、一口で言えば栄養補助食品のことか。
病で特定の栄養素を補給しなければならない人や、医療の補助目的として指示されている人にとっては欠かせないものだけれど、これが果たして一般の人に必要なのだろうか。
「健常な人が強迫観念に駆られて摂取すると、一部の栄養素だけが摂取過多になり生体バランスが崩れる。」などということがないのかと、それこそ余計な心配をするのである。

サプリメントが流行する背景には、食生活の変遷は勿論だが、昔は食物から摂取していた栄養素が、土壌や環境の変化で減少しているという嬉しくない背景もあるようで、一概に否定は出来ない。
そこを突かれると弱い。哀しいかな、とかく踊らされやすいのが現代人の常・・・。

自然素材の強化食品にはさほど拒否反応は起こさないものの、持参されたものは小難しい横文字やカタカナが羅列してあり、いかにも工場生産品らしい。
その成分を見ていると、理解の範疇を超えていて恐さが先に立つ。
よしんば自然素材だからといって、果たして含有率はどうなっているのかと、私は疑り深い。
消費者をないがしろにしたメーカーの横暴がインプットされるたびに、信頼回復不能の赤信号が点滅しっぱなしになって久しいが、あまり疑り深いのも疲れるので、いっそ使わないほうが気楽だと、その手合いのものも我が家は口にしない。

そのうち、お皿に数種類のサプリメントを乗せて、「ハイッ、これが夕食です。」という時代が来るかもしれないと想像すると、無味乾燥でなんとも味気ない。
もっとも、そんな時代が近未来にあっても、すでに私は生きてはいないが...。
「そんな生活を進化と呼ぶなら、切ないものだ。」などと考えるのは、流れに乗れない変人の僻みかもしれない。

私たちが目指している山の生活には「食生活の原点に立ち返ること、そして不便でも心豊かな生活を送りたい」という思いがある。
利便性を追求する成果重視の社会は、人の生き方をどう歪めてしまったかを考えると、知恵と我が手を使わなければ食べることさえままならない生活も悪くはない。
それは、安直な方法で栄養素を補給する、サプリメント生活とは真っ向から相反するものなのだが...。
  
11/10 スギナのちから?
この秋は、町の住まいがあるF市の定期健康診査に参加した。
二年ほど仕事が重なって受けていなかったのだが、今年はぜひとも受けようという気になったのはある事柄からである。
この春から私はスギナのお茶を飲んでいる。

もともと血圧は低めだった私が、ここ数年はジリジリと上がり気味になっていたが、春先に首筋が凝るように感じて知人宅で測ったところ、なんと高値150/低値90になっていたのだ。
これは境界域高血圧のボーダーラインすれすれ、だという。
大体が私は機器で計測するのは好きではない。
最近各医療機関に置かれるようになったのが、輪の中に腕を差し込む自動計測器だが、あれはもうひとついけない。
計測のための圧が掛かって締まりだすと、心臓がバクバク音を立て始めるのがわかる。
それだけで血圧はピンとはね上がるような気がする。
だが、手間を省くためか、旧来の聴診器を当てるオーソドックスな計測は少なくなっているようだ。
知人宅の計測器は腕に巻いて自動計測をするタイプで、それでもかなりドキドキするのだが、輪の中に入れるよりはずっと気持ちが楽である。
その日私は、来るものが来たと感じたのである。亡母も高血圧症の気があったから...。

私は病院が苦手だ。好きな人はいないだろうが、とにかく苦手だ。
中に入るだけで息が詰まる感覚さえ覚える。
だから、この境界域高血圧は自身の手でなんとか治そうと決めたのである。
さて、どうしたものか...。
ない知恵を絞ってあれこれ考えた末に、思い至ったのがスギナである。
スギナは以前から野草として食していたのだが、お茶にして真面目に飲んでみようと思ったのが4月だった。
スギナは倶楽部内にも生えている。
土壌は安心できる、農薬も犬のおしっこもかかっていない。
ときにはイノシシやカモシカが振りかけているかもしれないが、町の土手などで採取するものに比べてずっと清潔に違いないと...。
飲み始めて一ヶ月経った頃に計測して驚いた。数値は130/80に下がっていたのだ。
それから本格的なスギナとの付き合いが始まった。
健康診査を受けたのは、その変化を確かめたかったからなのだが、この秋には110/70という数値が出た。
これはもう、スギナを手放せなくなったとの感が強い。

この話にはまだオマケがある。
一ヶ月の飲料を経て血圧が下がりだした私を見て、kiiさんも付き合いがてら飲むようになっていた。
その検査結果は、仕事で留守だったkiiさんに代わって私が承る。
彼の血圧も、近年正常値から少しオーバー気味になっていた。それが、今回正常値に戻ったのだが、それよりも仰天したことがある。
kiiさんの検査結果を説明する医師に、思わず「これ、ほんとうに本人の検査結果ですよね。間違いありませんね?」と馬鹿なことを尋ねる。
kiiさんは10年以上前からγ-GTP、総コレステロール、中性脂肪において注意を受けていた。
AST(GOT)、ALT(GPT)なるものも高めだった。
特にγ-GTPの数値が高く、度を過ぎることのない綺麗なお酒の飲み方なのだが、ストレスで神経を痛めるか、アルコールで弛緩して寛ぐかと問われたら、後者を選択したいのが人情かもしれないと諦めていた。

本人もそれなりに気にはしていたらしく、帰宅して「どうだった?」と尋ねる様子に不安が滲む。
私は意地悪をする。「心してお聞きなさいね。」 その言葉に、彼の血圧は急上昇したかもしれない。
検査の結果は驚くべきものだった。
全ての数値が基準値内に納まり、中でも中性脂肪は二分の一に、γ-GTPはなんと五分の一に減少したのである。
ほんとうに本人の検査結果に間違いないのかと、何度も念を押した理由がここにある。
報告書を見ながら目を丸くしたkiiさんの顔が見ものだった。

生活自体は大して変化があるわけではないから、これは「スギナのちから?」
人の身体には自然治癒力があると聞いているが、そこに野生の力をいただいて改革できたのなら、これほど嬉しいことはない。
即効性はないけれど、こんなスローライフも素敵じゃないか...。
狂信的には決してなるつもりはないが、自然の力の素晴らしさをしみじみと感じている二人である。
    


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