つれづれなるままに |
2005年2月 |
2/16 | 過剰丁寧 |
「過剰丁寧」とは、かなり以前から気に掛かっていた言葉である。 食品スーパーなどのレジで、胸元に手を当てて、長ったらしい一見丁寧風な挨拶をしている光景、あれを奇異と受け止めるのは私だけだろうか。 「マナーのいい店舗」のイメージを顧客に植え付けているつもりかもしれないが、胸に両の手を当てて丁寧に頭を下げ、マニュアル通りの長い言葉を一人一人に繰り返している光景を、レジに並んだ長い列の後から眺めるのは苦痛である。 決められた言葉、決められた動作を人形のように繰り返す、それを消費者は喜んでいるのだろうか。 スーパーに、そこまでの過剰な挨拶を求めてくる人がいるのだろうか。 そういった光景を見かけるたびに、背中がムズムズしてきて、気恥ずかしい思いで消え入りたくなる。 そして、目のやり場に困ってしまう。 「ありがとうございました。」と軽く頭を下げる、それだけで充分に事足りるではないか。 時間に追われている時などは、特に痛切にそう感じる。 「keiさんがイラチ過ぎるんだよ。」と連れ合い殿は宣うけれど、「それじゃ、kiiさんは平気?」と聞くと「イヤッ、遠慮したいね。」と言うのだから勝手なものだ。 食品を購入するのにさほど時間を掛けたくないという御仁もいるだろうし、私自身も早く切り上げたいほうなので、かの光景をこれぞ過剰丁寧だといつも苦々しく眺めているのである。 スーパーに限ったことではない。考えてみたら過剰な丁寧さやサービスが町に溢れている。 官も民も、それは必要な所では欠落していて、必要でない所で氾濫している。 するほうもされるほうも、おかしいと感じないところが恐い。 何か考え違いをしているのではないか、人間がどんどん馬鹿になっていくようで、いや、気付かぬうちにだんだん馬鹿にされていくようで哀しくなる。 こんなことを書いていた翌日、ラジオから似たような話が流れ出して吃驚した。 これは言葉に関する話。 「過剰商業敬語」「ら抜き言葉」「サ入れ表現」などで乱れに乱れている日本語に対して、国がテコ入れを考えているそうなのである。 あの「ご丁寧な言葉」は「過剰商業敬語」と呼ぶらしい。 「ら抜き言葉」などは、うっかりすると自身も使いかねないのでハッとさせられた。 昨今の日本語の乱れには、携帯メールなども一役買っているそうな。 いろんな施設で首を傾げるような言葉遣いを耳にするたびに、嘆かわしい現象だと憂えていたのは、頑固なおじさんやおばさんたちばかりではなかったのかと、少しばかりホッとしている。 遅きに失した感が無きにしもあらずだけれど、こんなことさえも国が主導にならなければならないとは、日本はいったいどうなっていくのだろう...。 しかし、そんな報道をしているアナウンサー氏が「語尾上げ言葉」を連発していることに、当のご本人も気づいていない点がなんとも言い難い。 |