つれづれなるままに |
2005年4月 |
4/27 | 雑感...。 |
週末開拓民奮戦記に少し書いたのだが、町の仮住まいが8月に転居になる。 我が家の周辺は工事地域内の「後工区」に設定されたので、「先工区」の建設中の覆いを横目で見ながら暮らした5年間だった。 (計画では5年も掛からない筈だったが、遺跡が出たために調査に時間を費やしたのだ。) その先工区の建物がやっと完成になり、この8月に移ることになる。 いよいよ、引越しに伴う諸々の案件と向き合わなければならなくなった...。 “今度移動するのは、山へすべてを移すときだ”と思い定めていたのだが、人生にはいろいろなことがある。そう予定通りにいくものじゃない。だからこそ頑張れるのかもしれないが。 今の住まいは昭和30年代に建築され、古い、不便、狭いと三拍子揃っているが、庭がついていて、それも住居より広い庭なのが唯一気に入って転居したのだった。 生きる方向に思うところあって、持ち家の売却を模索していた時、偶然この住居が当った。 当ったのと時を大して違えずに、持ち家の買主も決まったことを考えると、不思議なものを感じる。 田舎暮らしを決意する時もそうだった。確かに後押しするものはあったのだと、今更ながらに思う。 そして一年後の冬、野迫川の土地と出会ったのである。 野迫川の土地に初めて立ったとき、あの頃の私たちは、不安を気負いで押さえ込んでいた。 そして今は、一番自分らしく居られる場所になったと強く感じる。此処以外の場所に居ることを、想像できない二人になっている。 ***** ところで、古い、不便、狭いと三拍子揃っているこの住いだが、河出書房新社刊による「再現・昭和30年代 団地2DKの暮らし」を眺めると、まるで我が家だと妙な驚きを感ずる。 家具や家電のデザインは変り、住まい方も違うけれど、住い自体はその頃のままなのだから当然だが...。 建物、設備、間取り、メンテナンス、管理事務所などに関して、いろいろ傑作なことも多く、民間なら考えられないような、現代にそぐわない話もある。 鉄筋コンクリート住宅が、築40年余で老朽化のために建て替えになるなどとは、想像できただろうか。一番堅牢になるのは築後50年ぐらいと聞いていたが、あのコンクリート神話はどうなったのだろう。 器が老朽化なら、それ以上に設備もひどい。家というものは定期的にメンテナンスをしなければ傷むものだが、メンテナンスのしようがない建物があるものだとは、ここで初めて知った。 日本の建物に関する感覚は、建ち上がった時が100%で、家を育てるという感覚は多分に欠如しているように思える。定期的に住いの手入れを楽しむ外国の人たちを見ると、大いに感ずるところがある。住いは育てていかなければならないものとは常々考えていたが、山でログを触っていると、特に強くそんなことを思う。メンテナンスしやすい建物・設備であることはとても大切なことだ。 建物も手入れをしなければ朽ちていく...。 大体が、建築後40年やそこいらで建て替えをしなければならないなどというのは、税金の無駄遣いではないのかと考え込んでしまうのだ。 鉄筋コンクリートの耐用年数は60年と言われてきた。(改正で47年になったそうだが。) でも、それはあくまでも税法上・会計上のことで、建物の寿命ではない。災害などの特別なアクシデントでもない限り、それ以上もつことは当たり前ではないか...。 言い替えたら、40年ほどで「老朽化」のレッテルを貼られるような建物を建てることは、国民に対する背信ではないかと穿った見方をしてしまう。 見通しの甘さを、彼等は「日々発展する現代の多様性は予測できなかった。」とでも言うのだろうか? 堅牢な建物、メンテナンスできる建物を造るのは、公的資金で事業する側の義務だと思うのだけれど、如何なものだろう? 私たちは、古くて不便で狭いここの生活は、嫌いではなかった。 だから、まるで傍観者のような心情で、転居にまつわる諸々の煩わしさに対処している。 新しい住いはまことに便利そうである。 電磁調理器対応、浴室乾燥、床暖房、高速インターネット完備...。 災害でも起これば使えないものばかりだが、それが町の生活なのだろう。 だが一歩退いて眺めてみると、不必要なものが多くて必要なものが欠けている。 多分それは、田舎暮らしに思いを定めた私たちの、気持の変化に依るものなのだろうが。 |