つれづれなるままに |
2005年3月 |
3/10 | じん兵衛さん | ||
大阪人はうどんが好きである。 街なかを歩いていると必ず目にするのが「うどん」の看板。 もっとも関西は、最近ラーメン店のほうが幅を利かせている感がないでもない。 北海道から関西に移住した頃は、うどん定食なるものにびっくりしたものだった。 うどんにご飯とはなんという取り合わせかと、お昼のうどん屋さんでは目を丸くしたものだ。 麺類は何でも好きだったが、北海道に住んでいた頃はラーメンを食することが多く、うどんや蕎麦、素麺などは生活の中にさほど頻繁に登場した覚えが無い。 だから関西のうどんや素麺の食文化はカルチャーショックだった。 特に素麺にはそれを感じる。 蒸し暑い関西の夏に、冷たく喉越しのよい素麺は最高の食物だと...。 これが夏の涼しい北海道では、これほどの位置を占められただろうかと思っている。 ある猛暑の夏を、kiiさんと二人、素麺と冷やしうどんで乗り切った記憶もある。 「あの年は、5月の連休から猛暑がはじまったなぁ。」と、思い出語りにもしばしば出てくる年だった。 素麺は家庭でもそこそこ美味しくいただけるが、うどんとなるとなかなか難しい。 乾麺の冷やしうどんなら何とかなるが、温饂飩の出汁とコシのあるウドンのあの絶妙のバランスは、家庭では出しにくいもののような気がする。 上手くうどんを作れる人はいるかもしれないが、出汁はそうはいかないだろう。 私はと言えば、出汁もうどんもあっさりと白旗を揚げる。 大阪外環状線沿いの富田林を抜け、河内長野との境辺りに錦織公園がある。 その公園の南側に「じん兵衛」といううどん屋さんがある。 初めて知った時は、「こんな所に、こんな美味しい店があったなんて...。」と吃驚した。 もう15年ほど前のことになるだろうか。 近くはないので頻繁には行けないが、うどんが猛烈に食べたくなると出掛けていく。 手打ちのうどんは少し細めでコシが強く、出汁はあっさりとしていてしかもまろやかである。 化学調味料を使わない出汁の、後口のよさには感動する。 「さぬき」は一番シンプルなメニューで、素うどんにワカメが入っているもの。すりおろしたショウガを少し落としていただくが、それがほんとうに美味しい。 ショウガの香りが鼻腔をくすぐり、上品な味と相まって実にいいバランスなのである。 七味を入れて味が変るのがイヤだと、kiiさんはそのままを楽しんでいる。
海老天が二つも入っていて、いろいろな具のハーモニーが楽しめる「じん兵衛うどん」は、特に固定ファンが多そうである。 kiiさんは冬はもっぱら鍋焼きうどんを贔屓にしている。 私はいつの頃からか、カレーうどんにハマっている。 じん兵衛さんのカレーうどんは、私の好みにピッタリと来てしまったのである。 今日は他のものにしようと決めて出掛けても、席につくと「いつもの!」と口にしている。 「もう何年、カレーうどんばかりを食べているの?」とkiiさんは呆れるが、私の「いつもの!」は、相も変わらず一年中、そう、冬は勿論、夏の暑い日も「じん兵衛さんのカレーうどん」なのである。 |
3/04 | フクシアの実 |
新しい園芸誌が届き、色とりどりの花の中にフクシアを見つけて、数年前のフクシアにまつわる話を思い出した。 親しい友がある日言ったのである。 「keiさん、フクシアの花って知っている?」 「知ってる、知ってる。一時期、育てていた...。」 「フクシアの実って食べたことある?」 「ううん、食べたことなんかない。食べられるの?」 「それは知らないんだけれどね...」 その友人の言葉によると、あまりに美味しそうだったのでついっと手が伸び、口に放り込んだそうな。さほど美味しいとも思わなかったらしいが、食後数時間を経過した後に目の前がおかしくなったのだとか。 「理髪店の広告塔のように顔がダンダラに見えだしたのよ。」 気分が悪くてその日は横になっていたが、翌日病院に行って検査したけれど異常がないと言われたという。 「でも確かに鏡に映った顔が広告塔に見えたのよ。何度も見直したけれど、赤や緑や青の縞のようにね。」「エ〜ッ...。」「keiさんも試しに食べてみない?ダンダラ模様になるかどうか知りたいのよ。」と彼女は真剣だった。 とんでもない、そんな依頼はまっぴらだとお断り申し上げたが、その時の会話が記憶の底にあって、時折ヒョイと顔を出す。 気になって図鑑を調べてみた。 フクシアは熱帯アメリカ原産。アカバナ科ドイツの植物学者レオナルド・フクスにちなんで付けられた。別名ツリウキソウ(釣浮草)、欧米ではイヤリングに似ているのでレディー・イヤドロップスと呼ばれる。 可愛い花である。 最近は品種改良が進んで園芸種も数多く、気軽に楽しめる植物になっているらしい。 育成の最低気温は5℃。 山の庭では育ちにくいため、私の植物リストにはまったく入っていない。 食用になるかどうかの記載については、何処にも載っていなかったので、ネットで検索する。 フクシアは、花も実も食用として立派に通用しているものだった。 実(み)はソースやジャムにしても美味しいらしい。花はサラダにも使う。 ということはどういうことなのか。 彼女が口にしたものはフクシアの実と似たもので、しかも微量にしろ毒性があるものだったということか。 考えられることは購入した際に何らかの薬剤が散布されていたか、或いは株元に漉き込まれていたのか、そして、その折の彼女の体調も絡んでいたのかと思いを巡らせる。 花好きの彼女が花の形や名前を勘違いするとも考えられず、この不思議な出来事はいまだに解明されていない。 いずれにしても、フクシアの実の冤罪だけは晴らさなければと思っている。 |