つれづれなるままに |
2004年5月 |
5/13 | 大魔女が死んだ...。 |
kiiさんの育ての親と言っても過言ではない、清子おばちゃまが亡くなった。 86歳だった。 たった一週間寝込んだだけで、急なことだった...。 入院の知らせをいただいて2日前に会った時は意識もしっかりしていて、携帯メールをしたいなどというそぶりも見せ、回復するかもと期待さえ抱かせたが、私たちの手を握り返したその手の冷たさと力の無さが気にはなっていた。 そしてその時が、私たちとは永遠の別れになった。 おばちゃまと私たちの結びつきは、人からは親子のように見えるらしく、おばちゃまはよく「亡くなった主人が外に作った息子でね。でも可愛くて、いい子なのよ。」と言っていた。 相手の人はそのたびに戸惑った表情をする。本気にする人もいなかっただろうが、おばちゃまは結構真剣な顔をして、いつもkiiさんのことを「外の息子」と呼んでいた。 清子おばちゃまについては、2000年の7月のひとりごとにも書いたが、kiiさんだけでなく、早くに母を亡くした私の精神的な支えでもあった。 「前だけを見て頑張んなさい。」の口癖に、何度励まされたことだろう。 つい二週間前にも、与勇輝さんの作品集をお土産に伺ったのだが、倒れるなどとは予想もできなかった。 お昼はうどんと天ぷらに舌鼓を打って健啖家ぶりを示し、次回はこれにしようなどと先のメニューまで決めていたおばちゃまが、亡くなったなんてどうして信じられようか...。 「この夏は野迫川で過ごせる??暑い大阪では、夏を越すのがとっても辛いのよ。」 「大丈夫。今年はkeiさんをお供に、夏は野迫川で過ごせるようにするからね。」 kiiさんの大丈夫は、ついに間に合わなかった。 エアコン要らずの野迫川の涼しさを、あれほど楽しみにしていたのに...。 山の生活を思い描き、早く完成するようにと心から願ってくださったのに...。 「90歳までは元気でいたい。」って、あれは嘘だったの? 娘たちの第二子も楽しみにしていてくれたじゃないの...。 まだ何も恩返しをしていないじゃない、早すぎるよ。もう少しだけ、待っていて欲しかった...。 声にならない悲鳴が私の中を駆け巡る。 「魔女の親だから大魔女だね。」 そんな冗談も、もう言えない。 頑張りやでいつも毅然としていたおばちゃまの、いろいろな表情が浮かび上がっては消える。 モガだったおばちゃまは、多分天国でも型破りのモガ振りを発揮するのだろう。 その日、 夢見て憧れ続けた「ヒマラヤの青いケシ」が、野迫川倶楽部ではじめて花開いた。 |