つれづれなるままに

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2002年6月
   
【梅のエキス作りレポート】具っ多いのkeiドクダミ茶カバチボー
 
6/26  梅のエキス作りレポート

町の梅はもう梅干用が出盛りだが、野迫川は今頃が梅のエキスに最適の青さである。
右肘の抜釘手術を終えて加療養中のkiiさんは、今のところログの作業はできないの
で、左手で梅を摘んでもらうことにする。
野迫川倶楽部には白加賀、豊後、南高梅、藤田梅、八つ房など10本ほどの梅が植え
られている。
開拓が遅れているので、定植できないままに、育樹エリアで実を付けるまでに育って
しまった。来春の移植が大変だと頭を抱えている。
白加賀は粒が小さめだけれど、豊後や南高梅は大きくて、今後この品種を増やしたい
と思う。初めての収穫にしては全体で10キロほどあり、「摘みにくいなあ...。」と言い
ながら左手を動かしているkiiさんの表情もほころぶ。
野迫川倶楽部の梅は大きさもバラバラで形も不揃いだけれど、完全無農薬という最高
の安全性がある。
無農薬の梅を目の前にしたら、何よりも梅のエキスを作らねばなるまい。
という訳で、早めに帰宅した翌24日に意を決して作り始めた。
(梅のエキス作りは根性がいるのである。)

6/24午後3時50分・エキス作り開始
まずは梅の種を取る。
先のドクダミ摘みで切れている指先に、果汁が沁みて痛い
の何の...。
軍手をはめた手がうるけて、倍ほどに膨れ上がった。
この種取りがエキス作りの第一の関門である。
午後6時50分種取りを完了した。
10キロの種を取り除くのに三時間かかった。
←種を取り除いた梅


種を取り除いた梅はジューサーにかける。
陶製のおろし金ですりおろすか、すり鉢ですりつぶすのがいいのだが、10キロもの梅を
すってなどいられない。考えた末、数年前から我が家ではジューサーの登場となった。

←果汁だけになった10キロの梅
内径30cmの土鍋に6分目の量になった。
抹茶のような美しい色である。
赤い道具は「タネトリ梅エ門」

今回の種取りで威力を発揮したのがこの「タネトリ梅エ門」
「うめえもん」とはなんと野暮ったくて面白いネーミングだと笑った。
今までは包丁で実を切り取っていたから、手には豆ができ、種取りには
もっと時間がかかっていた。
もっとも道具に慣れてスムーズに使えるようになる頃には、種取りは終
わりに近づいていたが...。

金属は梅の酸で傷みやすいので、ホーローの鍋や土鍋を使う。
我が家はホーロー鍋を使っていないので、鍋の季節が済んでしまい込んであった土鍋
を引っ張り出す。

↑午後7時45分、梅の果汁に火が入る。 ↑熱が入って果汁の色が変わってきた。

「さあて...。」鉢巻はしていないが、締め直す心境で土鍋を火に掛ける。
小さな火で、トロトロ。
これから何時間かかるか、とことん鍋と付き合わなくてはならない。

↑6/25午前2時45分、鉢巻の締め直し 午前3時30分火を止める。

煮詰められて鍋底から小さな泡が浮いてくると、ここから再度鉢巻の締め直しである。
焦がさないように神経を張り詰める。
そして、エキスが割り箸に絡みつくようになった時、火を止める瞬間がきた。
所要時間11時間40分...。

出来上がった梅のエキス

直径7cm高さ12cmのガラス瓶に半分の量しかない。

梅の効用が知れ渡っているけれど、このエキスは梅の有効成分が凝
縮されたもので、青梅1キロから20グラムほどしかとれない。
薬効も大であるけれど、自分で作ってみて、出来上がりの量の少なさ
高価なのが頷けるほどである。

このエキスは少しずつ分けて、子供たちの常備薬になる...。


長旅の折や体調を崩した時など、このエキスはいつも家族のお助けマンであった。
特に胃腸に関わる不調の時は、割り箸に少量絡めて舐めるだけで特効薬になる。

今年は野迫川倶楽部の貴重な無農薬の10キロの梅の他に、町で25キロの梅干&梅
酒用の梅をいただいた。
久しぶりの梅干と梅酒作りも、25キロは流石に疲れた。
プラスしてこの長丁場のエキス作りときたら、当分青梅は見たくない心境である。


6/20  具っ多い(ぐったい)のkei

日頃野迫川での昼食は、手作りでも簡単に済ませることが多いけれど、この季節は山
の幸が美味しくて簡単料理に色を添える。

昼食を二つ。
タコと辛子明太とセリのスパゲティ
タコとキノコ類に、「ふくや」の辛子明太と、摘んできたセリや三つ葉をたっぷり散らす。
勿論タカノツメとどっさりのニンニクも忘れない。
そのスパゲティを見たkiiさんはすかさず「ア〜、具っ多いや...。」
「ごめんね、身についた性分だから諦めてね!!」私は涼しい顔で答える。

タコと辛子明太とセリのスパゲティ 山菜の天ザルウドン

山菜の天ザルウドン
旬は過ぎたけれど、まだ若い芽が食べられるタラやウドを摘んで即席の天ぷらにする。
我が家の天ぷらは菜種油で揚げ、素揚げに近い薄衣である。
自家製のタレは鰹節ベース。一週間分くらいを一度に作って冷蔵庫で保存する。
これは一年を通して重宝している。
湧き水でキュッと冷えたザルウドンは、喉越しがよくて暑い盛りの食欲を増す。

料理の直前にセリや三つ葉を摘めるなんて、最高の贅沢ではないか...。
ウドやタラの若芽も、摘んだばかりの鮮度抜群のもの。
土から口までの時間の短さが旨味を逃さないから、手抜き料理がご馳走に変身する。

以前にレトルトカレーのCMで「具っ大」が流行ったことがあるが、私は「具っ多い」なの
だそうである。自分では意識していないのだが、ほどほどを知らないそうな...。
確かに豚汁もけんちん汁も具が異常に多いのが我が家流。
(汁物は添え物ではなくて、立派な一品なのだと常日頃思っている...。)
チラシ寿司(バラ寿司)など具の蔭に寿司飯が隠れる。
kiiさんと一緒になった頃は、目を剥かれることもしばしばであった。
最近は諦めたのか慣らされたのか...。

先のドクダミ茶と同じように、食卓に上るものが目の届く場所にある幸せを噛みしめた、
ある日の昼食である。


6/19  ドクダミ茶

蒸し暑い大阪の夏を乗り切るのに、我が家ではドクダミ茶が一番の力を発揮する。
毎年、ドクダミの白い花が咲くこの季節に摘んでお茶にする。
この時期が薬効成分が高いそうなのである。

日曜の野迫川では、鳥たちに起こされて5時半に目覚めた。
朝食前の一仕事はkiiさんが草刈り機を動かし、私はドクダミを摘む。
結局その日私は、庭の草引きも梅のエキス作りも断念して、ひたすらドクダミを摘み洗
い、束ねて括り干す作業に終始した。

裏山の斜面で背丈を越える雑草に埋もれながら、一本一本摘んでいる私を見かねて、
kiiさんがログの刻みを中断しては手伝う。
(あまりの雑草でまとめて刈り取れないのである。)
なにもそんな所で摘まなくてもよさそうなものだが、その辺りのドクダミは適度な湿度と
山からの栄養を貰い、太くて実に美味しそうなのである。、
山の斜面の杉を引っ張り出す為に老体ユンボのボク伝君を走らせたので、かなり少なく
なったと思っていたのだが、意外な所で勢力を広げていたおかげで今年も何とか自家
製のドクダミ茶がいただける。
「刻みができないよ...。」とこぼしながらも、このお茶に一番はまっているのはkiiさんだか
ら、つい手を出してしまうらしい。

そしてこれがドクダミの暖簾。
実に美しい光景ではないか...。
8メートルの丸太に括り付けられたドクダミ
資材置き場に8メートルの丸太を渡して、洗ったドクダミを括り付ける。
長い丸太にぎっしりとぶら下がった様は結構圧巻である。
指が擦りむけるほど強く括らないと乾燥して抜け落ちる。
気が付いたら両手の指から血が滲んでいた。
これを刻むのが大変だけれど、今年はログの中で夜間作業でこなそう...。

長袖に虫除けネットを装着しても、ブヨはしつこく強烈である。
いたるところを刺され腫れ上がって泣きながら、それでもドクダミ茶の優しさには代えら
れない。トンボが出てきたらブヨも少なくなるのだけれど...。
流れる汗を手の甲で拭いながら、ドクダミの暖簾を眺め大いなる満足感に浸る。
「これでひと夏もつかなあ...。」
「もう一度摘まなければ無理じゃないかな...。」
何事においても荒っぽい私の仕事は、上から下までズクズクのボトボト。
まるで悪戯っ子の水遊びだねとkiiさんがのたまう。

住んでいればどうということのない作業も、週末だけの時間では思うばかりで叶わない
ことが多いが、できるだけ山の恵みを大切にして生きたいと思っている。


6/12  カバチボー

私たちの孫はユウちゃんという。
可愛い盛りのいたずらっ子。
5月の連休の前後、ユウちゃんのサポートのために訪れた埼玉で、気が緩んだのか体
調を崩して寝込んでしまった私に付き合ってしまった彼女。
熱を出して枕を並べた二人、オシャベリで一日の大半を過ごしたりした。
回らない口で一所懸命お話してくれるけれど、通訳の母親が居ないと私は半分も理解
できない。

バナナとイチゴとチーズをまず覚えた所など、食いしん坊のkeiさんの血統だとkiiさん
が茶化す。
(まれびとさんの愛娘のSちゃんの様子を聞いたところ、やはり食べ物は早く覚えるらし
いから、これに関しては私の嫌疑は晴れたと言える。)
もっとも、その兆候がない訳ではない。
先日のこと、少なくなってきた自分の焼きウドンのお皿を、娘がちょっと席を立った隙に
「ウン、ウン...。」と言いながら、ポーカーフェイスでこっそりと交換していたそうな...。
1才5ケ月にしては、食い意地に関してはやはり遺伝的かもしれない。

ニンジンとブロッコリーとタマネギが大好きなユウちゃん...。
インジンは解かるけれどカバチボーがブロッコリーのことだなんて理解できるものでは
ない。

時折電話で話すのだけれど、ユウちゃん語がチンプンカンプンで、次第にしどろもどろ
になっていくkiiさんの表情を密かに盗み見ているのは楽しい。
じっちゃという呼びかけだけは、しっかり聞き取れるそうである。私のことはけいちゃと
呼ぶ。「ん」がまだうまく繋がらない。
あどけない表情で「けいちゃ」などと呼ばれた日には、Tシャツの一枚・本の一冊なと
余計に買いたくなるのは人情というものである。おまけに、ハッパとハナを覚えて、花
狂いの私を喜ばせる。
(ただ、猫っ可愛がりだけはしないようにと、常に自分を戒めている。)

「プチョ、プチィ、プチョ、プティー」と頻繁に発するリズミカルな言葉には、どんな意味が
あるのだろう。意味などない単なる言葉遊びだろうか...。
(昨夜の娘からの電話で、どうもこれは「バッチイ(汚い)」の意であることが判明した。)

娘は生まれてから病弱だったから、私たちは成長を楽しむどころか日々必死だった。
ようやく落ち着いた頃にはもう2歳を過ぎていたから、成長の過程では覚えていないこ
とも多い。
今ユウちゃんの成長を、僅かな記憶を頼りながら娘の時とダブらせている...。

カンパ・コッポレタ・オッチャッター・オイシ・コッコ、コメーン...。
増えるユウちゃん語録を、楽しんでいるこの頃である。


        


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