つれづれなるままに

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2002年9月
 
  
【真夜中の絶叫。】童謡や唱歌って...。救世主現る。
 
9/25  真夜中の絶叫。

野迫川の夜は最近特に品行方正で夜更かしをしない、というか出来ない。
夕ご飯をいただきながらコックリすることもある。
「働き過ぎなんだよね。」「明日は少しゆっくりしようか...。」と言いながらも、同じ毎日の
繰り返しになる。
焚き火をしながら熱燗を呑んで語らっても、9時までが限度。
早々に床につくので、どうしても深夜2時頃には目が覚めてしまう。
その夜も2時に目覚めてお手洗いに行き、30分ほど明日の予定などをボソボソと話してい
た、その時である。
「ギョウィーーン、ギャィーーン、ギョウィーーン。」
野迫川倶楽部に三声の絶叫が響き渡った。
「アレ、ナニッ??」「.....。」「ケモノ??」「...多分、イノシシ。」
まるで断末魔のような恐ろしげな声であった。
野迫川倶楽部を荒らし回って楽しんでいる足跡があまりにも大きいので、懐中電灯で見に
行く勇気など出る訳はない。
私が初めて聞いたイノシシの声は絶叫だった。
kiiさんは野迫川倶楽部の開拓の当初、寛いでブイブイ言っている彼等の声を聞いて仰天
したらしいが、こんな声はやはり初体験だったから、二人とも身を竦めてまんじりともせず朝
を心待ちしたことであった。

最近のイノシシの「荒らし」に参って、友人が置いていってくれたステンレスの針金で、見せ
掛けのワナを獣道にたくさん仕掛けてあった。
ログが一段落したら落とし穴を作ろうと思っていたけれど、彼等のほうが先んじて襲ってくる
ので、「時間が取られるなあ。」と言いながら仕方なくkiiさんが夕食の後で作っては仕掛け
てくれていたものである。
見せ掛けのワナだから彼等にとっては危険でも何でもなく、ただ近付くことを少しばかり遠
慮してくれればよいという、その程度のもの。

「引っ掛かったのかな...??」「ドジして引っ掛かったんだろうね。」
「明日はシシ鍋が食べられる??」「そんな甘いことを。三声だったから、もう逃げたでしょう
よ・・・。簡単に外れるワナだもの。第一簡単に外れるワナでなければ、keiさんが何度引っ
掛かるか判ったものではないでしょう??」

夜が明けるのを待ってバールと斧を持って探索に行ったけれど、声がした辺りには気配も
ない。 やっぱりね...。

「これで少しは警戒して、侵入を控えてくれるかもしれないね。」
ホッとしたようなkiiさんの声を聞きながら、今回は夢に終ったイノシシ鍋が目の前にちらつ
いていた私だった。
 
9/11  童謡や唱歌って...。

「いとまきまき いとまきまき ひいてひいて トントントン...。」
受話器の向こうでゆうちゃんが、回らない口で懸命に歌っている。
歌が大好きな彼女はレパートリーもかなり増えて、そのうち披露してくれる電話代が心配に
なりそうである。
私は亡母の歌で育ち、娘は私の歌で育ち、娘の歌でゆうちゃんが育っていることを考えると
不思議なぬくもりを感じる。
亡母が小康を得た僅かな時に、せがまれるままに膝に乗せ、心に響けとばかりに歌いつづ
けた数々の歌を、娘よ、貴女は覚えているだろうか...。
母との思い出は必ずと言っていいほどその姿で途切れる。

まだ北海道で暮らしていた頃、川べりを歩きながら、夕焼けを見ながら、ポプラの梢に輝く
星を見上げながら、そこには母が居て.....そして歌があった。

野迫川では、童謡や唱歌を流していることが多い。
ふっと気が付くとkiiさんと二人、口ずさんでいたりする。
「日本語って綺麗だね。」「やさしいことばなのに心に染み入り、情景が浮かんでくるね。」
難解な言葉や流行
(はやり)の言葉が氾濫しているけれど、そんな言葉には心打たれるもの
が少ないような気がしてならない。

そういえば最近「大きな古時計」のカバーがよく流れている。流行っているらしい。
人の好みはそれぞれで、私は懐かしの少年少女合唱団の「大きな古時計」が好きだが、
それは過ぎ去った時代への郷愁というものかもしれない。

娘が幼かった頃、一枚のレコードがお気に入りだった。
某国営放送の番組「みんなのうた」で人気のあった曲を集めたレコードだった。
番組はまだ続いているそうだから、かなりの長寿である。
「クラリネットをこわしちゃった」「トム・ピリビ」「大きな古時計」
「調子をそろえてクリック・クリック・クリック」「森のくまさん」などが収録されていた。
引越しの際にどこに紛れ込んだものか、レコードも歌詞カードも見当たらない。
CDを探しているが、こういう曲だけを集めたものは今はないらしい。

「山のごちそう」とか「大工のキツツキさん」「一本でもにんじん」「おべんとうばこのうた」
「蛙の夜まわり」「ふしぎなポケット」「棒が一本あったとさ」「おなかのへるうた」「マーチン
グ・マーチ」
懐かしい歌を歌いながら、こういうのは歌声喫茶風ではないし何だろうと笑い出してしまう。
「あぶくたった にえたった...」と歌い出だしたのは、どんなタイトルだったろう。
「トムピリピ」のメロディは浮かんでいるのに、歌詞が思い出せなくて唸っている。
こんな歌をゆうちゃんが歌う日も近そうである。

「子供と歌う、子供と遊ぶ」確かそんな系統の本も数冊あるはずだか、野迫川への移動の
箱の中に仕舞われたままである。
「早く開けたいね。」と言ったらログの完成へのプレッシャーと感じたのか、kiiさんが目を
白黒させた。
kiiさんはといえば歌いながらいつも、おさなごを膝に乗せている自分を思い浮かべている
ような優しい目をしている...。


9/06  救世主現る。

kiiさんと二人、早朝の庭を散策するのは楽しい。
虫や鳥たちの声を聞きながら、花や木の様子を尋ね、ここをこんな風にしたいなどと図面
を頭に描きながら、コーヒーを片手にフラリフラリと歩いていると、途中下車の多さもあって
軽く一時間コースになる。
山の境界まで足を延ばすと二時間コースになるのだが、どちらを選択するかなどは口に出
さなくても、暗黙のうちにその日のコースが決まるのは不思議である。
こんなひと時が一番心が安らいで幸せだなとしみじみ実感するのだが、そんな時間がもて
ない週末が何週も続くと、二人とも不機嫌になってイライラしてくる。
私たちも鉄人ではないから、たまには心をフリーにさせることも必要なのかもしれない。

そんな朝の出来事。
山際まで散策していた私たちの目の前を何かがスッと飛び、二人ともギクっとして立ち止
まってしまった。
「アッツ、アッツ、アッツ...。」言葉にならない声を小さく発しながら、kiiさんが指差す4m
先には境界沿いに杉が植えられているのだが、なんとその中ほどに体長30cmほど、腹部
がグレーで赤みを帯び、背が白黒で肩の辺りは黒く、頭部の赤い鳥が止まっている。
「ゲラだ!!」私も小さく叫んだまま動けない。
「ケッツ、ケッツ、ケッツ」と鳴きながら境界の杉を飛び渡り出したのを見て、kiiさんが「カメ
ラ、早く...。」私はカメラの置いてある大テーブルまでひとっ走り。
息を切らせながら戻りカメラを構えた瞬間、ゲラはモミの梢に飛び去ってしまった。

「オオアカゲラだったね!!」「私もそう思った...。」
興奮覚めやらぬ二人は突っ立ったまま、まだ未練がましく飛び去った辺りを眺め回してい
る。
野迫川倶楽部の周辺にはアオゲラが生息しているそうだが、アカゲラやオオアカゲラは少
ないと聞いていたのである。低いドラミングはよく聞こえていたので、キツツキがいることは
判っていたけれど、「ケッツ、ケッツ、ケッツ」という鳴き声とオオアカゲラは結びついていな
かった。
「たくさんいるんだね、あちこちで鳴いているもの...。」
「あの声がオオアカゲラだったのね。」
「カメラを持って歩きなさいよ。」「そんな、コーヒーを持っているのにカメラまで持つの??」

彼等が飛来するということは、エサがたくさんあるということで複雑な心境に陥るけれど、こ
れでカミキリの被害が少しでも食い止められるのなら安心である。
オオアカゲラはカミキリムシの幼虫がお好きと以前に読んだことがあり、カミキリムシの多
い野迫川倶楽部にとっては“救世主現る”なのである。

その40分後、ログの横の杉にアオゲラが止まった。
カメラを構えた途端、ログからkiiさんが顔を出した。
「ねえっ、またゲラの声がしていなかった??」
この日、アオゲラもケッツ、ケッツと鳴くことを知った。

杉山を雑木に替え出して4年目の今年、成長した木々にいろいろの鳥たちが訪れるように
なってきた。
こんなに近くに飛来するということは、私たちも風景の一部になりつつあるのかと、それが
何よりも嬉しい。

 
    

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