つれづれなるままに |
2003年3月 |
3/25 | 一心不乱に。 |
この季節でも、太陽が顔を出した日中は暖かさに誘われて庭に出る。 勿論、愛用のバチヅルと三日月鍬と枝切りバサミは忘れない。 まだ霜が降りるし、朝晩はマイナスになるので大した作業は出来ないのだが、荒れたままに放置され ている庭は、流石に花咲く季節が近付いてくると申し訳ない気分になり、少しぐらいは手入れをして自 己満足を得ようという魂胆なのである。 特に、昨秋イノシシに荒らされて崩れたままの土手などは、目を覆いたくなるような悲惨な有様で、見 ないで過ぎようと思いながらつい見てしまうのは後ろめたさからだろうか...。 この時期は草の根もまだしっかりとは張っていず、根元を掴んでクイックイッと揺すると意外に簡単に 抜ける。 始めて10分ほどは花たちのことや庭の設計図を思い浮かべたりするが、それもすぐに忘れ去り、一 心不乱に草抜き作業に没頭する。 頭の中を空っぽにして夢中になれる作業は好きだ。 ヘビイチゴやハスノハイチゴ、アケビ、イバラなどが、縦横に這い回っているのを引き抜くのは快感で ある。時々刺の逆襲に見舞われるけれど、こちらも彼等にとっては敵なのだから、少々のことは仕方 がない。 深く土中にもぐって巨大化しているススキの根もどうという事はない。 瞬く間に草の山ができる。 こう書くと簡単そうだがクイッと引くにもコツがいる。 掴む部位や力の入れ加減で根がブチンと切れてしまうと、厄介である。 この根を残すと、彼等の怒りに火を付けることになる。 怒り猛って「おのれ、負けるものか。」とより頑固になり、がっちり根をはって勢力拡大に必死になる。 フッと顔を上げると、視線の先にも出ている、出ている...。 暖かい日差しにムクムクと頭をもたげて緑色の絨毯。 この時期に雑草を処理しておくと、夏の庭仕事がずっと楽になる。 花たちはまだほとんどが土の中なので、葉や芽を傷めずに済むことも利点である。 それでもごくたまには、勢い余ってウッカリ、立ち枯れた草と一緒に雑木の苗木などを引き抜いてしま うこともある。 そこで気付けばいいものを、捨て去ってしばらくしてから思い出したときなどは、無念さに我が身を呪 い地団太を踏むが後の祭である。 苦い経験は一つや二つではない。ツルニンジンやツルリンドウなどは御難続きである。 中でもクレマチスのヘンダーソニーの打撃は大きく、数年経った今もまだ立ち直っていない。 自分の庭でさえこうなのだから、他人(ひと)様に植え込んだものが判る筈もなく、ましてや、あまり植 物に興味が無い御仁に至っては全てが雑草に見えるらしい。 以前、草抜き作業の奉仕を申し出てくれた知人に、涙が出るほど悲しい思いをさせられて以来私も用 心深くなった。 自分が泥だらけになって這いずり回るほうが、まだ傷は浅いというものだ。 おお、姫オドリコ草がエリアを広げているな。これはカワミドリか...。 小さな芽を摘まないように注意しながら、これは抜く、これは抜かない、その判断は素早いが、その早 さも時として裏目に出る。 抜いてはいけないものを抜く...。 慌てて埋め込んで、自分ひとりしかいない庭を思わず見回す。 雑草抜きの一番の難点は腰が立たなくなることと、昼ご飯もお茶の時間も忘れてしまうこと。 薄暗くなり汗が滴る先から冷えて伝う頃になって、ようやく我に返るのである。 |
3/14 | 道草ばかり...。 |
野迫川の山に小さな土地を手に入れてから、ずうっと気に掛かっていたことがあった。 町は仮住まいでいいと思い定めて町の家を売ってしまい、ローンを清算して山の土地を買ったのだ けれど、雨露をしのぐだけの狭い住いは本を置く場所も限られる。 引越しとともにたくさんの本は倉庫の奥にしまい込んだままで、思いがけない長い時間を開拓に費や すことになってしまった。 染みや紙魚(しみ)が意識の底にいつもあって、考えるたびに心を痛めていた。 中でも一番気に掛かっていたのが、私たち二人が大事にしていた筑摩の世界文学全集と岩波の古 典文学大系だった。 筑摩の文学全集は100巻近いものだが、購入時一巻2000円を僅かに越える程度だったものが、 先頃阿倍野の書店で見ると一巻6000円にもなっており、瞬間「染みや紙魚」を思い浮かべてゾッと したのである。こんな価格がついていては、再び購入できるものではないと...。 いつの間にか町の家にも本が溢れ出し、だんだん私たちの居場所が狭まってきたので、止むを得 ず、天井板が張られて雨漏りの心配がなくなったログの片隅に本の移動を始めた。 倉庫の奥に長い間眠っていた筑摩と岩波の箱も運び入れ、恐る恐る箱を開けて中身を確認し、 「ホーッ!!」と大きく安堵の息を漏らす。 隙間から入った埃で、所々外箱が焼けているものもあるが、中身は健在だった。 古くなった本特有のあの臭いも、思ったほどではない。 何と言っても「染みや紙魚」の餌食にならなかったことが嬉しくて、「よくぞご無事で...。」などと本を 相手に軽口まで出てくる。 野迫川に置くものや町で使う本を選り分け、リストを作って整理しだしたのだが、同じ本が三冊もあっ たりする。 装丁が豪華になり、高価になったのはバブル期頃からの箱か...。 思えばあの頃から本は高価なままで、活字離れに拍車をかける一因にもなっているのだろうと考え 込んでしまう。 思いがけない本を見つけて、つい読み耽って先に進まなくなることもしばしばで、だから本の整理に は悩みと喜びが交錯する。 二十数年前に購入した本と現在とでは、基本的な好み以外はずいぶん変化してきたものだ。 そんなことさえも面白い...。 二人ともに、本がなぜこんなに好きなのかと不思議である。 kiiさんは熟読派で私は斜め読み派ながら、多分強度の活字中毒。 私に限って言えば、貧しくて本などは買って貰えなかった昔に因しているのかもしれない。 絵本や児童書がダントツで多い我が家の書架を見ると、納得できるような気がする。 野迫川に今回持ち込んだ本は1500冊。町の家にはまだ3000冊ほどあるが、その3分の1は絵本 を含む児童書なのである。 「しかし我が家は、本とコーヒーカップ以外に何もない家だね。」とkiiさんが笑う。 パチパチ爆ぜる薪、ページを捲る音、時おり啜るコーヒー...。 雨の日や夜長の寒い冬の日は、薪ストーブの傍らで読書をするのが私たちの山の暮らしの楽しみの 一つでもある。 積み上げた本の箱を眺めながら、そんな姿を思い描いている。 |