つれづれなるままに |
2003年8月 |
8/24 | ミョウガ畑で...。 | ||||
現在、野迫川村は国道168号線から猿谷ダムを経るルートが、道路の崩落事故のため使えない。 従って和歌山県の冨貴(ふき)を抜けるルートを使っているのだが、夏期休暇の帰路、見たくないものを見てしまった。 野迫川村の北に位置する今井のトンネルを抜けると和歌山県で、クネクネの坂道を15分ほど下った所にある三叉路を左折すると筒香(つつが)、そのまま真っ直ぐに道を行くと冨貴である。 野迫川村からは僅かな距離しか離れていないのだが、気候はかなり穏やかになり、冬でも青物野菜を作れるのは羨ましい環境である。 伸びやかに広がっている空と揺れる稲穂は里山を感じさせる。 その冨貴はミョウガが特産で、「冨貴のミョウガ」といえば大阪では知る人ぞ知るのだと、知り合いの冨貴出身の方が言う。 以前に一度箱入りのものを戴いた折には、味や香りにはそれほどの違いは感じなかったが、放りっぱなしの我が家のミョウガと違って、特産品として栽培しているだけのことはあり、姿形はとても立派で「なるほど。」と頷けるものだった。 杉林の日陰を利用して、至るところにミョウガ畑が在るのが冨貴や筒香の特徴で、此処を通過する間は、ミョウガの香気が漂う気がして大きく息を吸い込むのが常であった。 いつものように、そんな風に山を降りていた時のことである。 やっと車が止まれるほどの道路際に、大阪ナンバーの白い大型の乗用車が停車している。 この辺りは狭い急な山道のことで、日頃車が止まっている光景はほとんど見たことがないし、対向に困難なので地元の人は軽自動車以外はあまり駐車させない。 「何かな?」「釣りでもしているんじゃないの。」 私たちの車の音を聞いたのか、道路から少し離れたミョウガ畑からヌッと顔を出したポロシャツ姿の中年男性が、慌てたようにミョウガ畑に身を潜めたのである。 ゆっくりと私たちが通過してしまっても、車を停めて見ていても、その姿は現れなかった。 「盗ってるの?」「そうに違いないね。あの隠れようは...。」 その慌てた様子は、村の人の縁戚という雰囲気ではなく、疑われても仕方がないものだった。 付近を散策しているリゾート風の身なりの中年女性は連れに違いない。 昨年は日照りで作柄が悪く、今年は雨ばかりで、作物にはよくない年が続いている。 「買っても知れているのに盗るかな。いい身なりをしていても心が貧困だね。自分勝手で思いやりのない人が多いよ。範を垂れるべき年代がそうだから、若い人もそれが当たり前になるんだね。何だか変だよ、この頃何もかも...。」私の語気は、ついついきつくなる。 野迫川倶楽部でも最近被害が多い。 たくさん植えてあるから気付かないと思うのかもしれないが、あいにく私は花たちに関しては記憶がいいほうで、そのたびに情けない思いをしている。 先日も落花生やズッキーニが苗ごと被害に遭っている。 野迫川入りした13日には、庭のロケーションの僅かな変化にすぐに気付いた。 10日の日曜日に咲き出していたコオニユリがないのである。 二本とも手折られている。 庭の奥まった場所で、表から見ただけではコオニユリが咲いていることなど判らない。 ヒョットしてカミキリムシに入られて、その辺りにでも落ちているのではないかと、しつこく探し回る。 落ちている訳はないと判ってはいても、落ちていて欲しいと思うのである。 犯人が虫や動物であるほうが、どれほど救われることか...。 たまたま訪れた近在の知人と推理を巡らせる。 「手折った位置が理解できないのよね。通常の花活けでは、もう少し茎を長く切らないと活けられないでしょう?」「この長さでピッタリ来るのが、お墓の花じゃない?」「アッ、そうか...。」 「どこにでもあるこんな花を折っていくかな?他にもっといい花があるのに...。」「お盆だから、それが欲しかったのじゃない?それに珍しい花だと、出処が判ってしまうじゃない?」「なるほど...。」 そんなやりとりが夏期休暇の初日にあったのである。 盗んだ花を先祖に手向けても供養にはなるまいと思うけれど、帰ってきた魂もさぞ居心地が悪かったことだろう。どんな顔で手を合わせたのかと考えると、妙に可笑しさがこみ上げる。 野迫川倶楽部ではまだ大きい被害はないものの、あまり愉快なことではない。 平気になってしまわれることはかなわないので、何らかの方法を考えなければと思う。
利便性と機能性ばかりを追及してきて、今私たちが直面しているものはどうだろう。 政治が乱れると人心は荒むと言うが、政治の乱れが人心を荒ませるのか、人の心が乱れるから政治が乱れるのか、鶏か卵かの議論にも似て結論づけることなどできそうにない。 |