つれづれなるままに

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2001年2月
  
 植物の話・1《ヒマラヤの青いケシ》 【記念樹】 【野菜の話・1】 【雑感】
 
2/25  植物の話・1《ヒマラヤの青いケシ》

ずっと憧れている花がある。
《ヒマラヤの青いケシ》

野迫川倶楽部の庭でそよ風に揺れているこの花を、何度夢に見たことだろう。
このケシをチベットで発見した時、フレデリック・ベイリーはどんな気持ちだったのだろうといつも
想像する。

メコノプシス・ベトニキフォリア(メコノプシス属)ケシ科 
東部チベット、北部ビルマ、中国雲南省に分布する多年草。
草丈1.2〜1.5m、花期は6〜8月、
(北隆館・原色高山植物大圖館による)

風が動く半日陰で夏涼しい所、水はけのよい酸性土壌であれば、たいして気難しくはないとい
うけれど、私にとってこれほど相性の悪い花はない。
代理店を通じて手に入れた種を、何年も何年も蒔いては失敗を繰り返していた。
何度失敗しても諦めきれない。それどころか、尚更に想いは増すばかりであった。
いよいよ種からの芽だしは断念して、子苗を手に入れることを考えたが、それもようとして運ば
ない。
いつも私の無理難題を引き受けさせられるのが、kさんという若い園芸関係者。
「りんごの苗木が欲しい、それも紅玉でないと駄目!!」とか「このぐらいの大きさの白樺が欲
しい!!」「この花のこの色が欲しい!!」と、困らせてばかりいる。
プラスして、値頃感が大切という一番難しい注文をつける・・・。
芽だしを断念した二年前、当然のことのように彼にお鉢が回った。
この花に関しては沈黙している彼に、度々尋ねることも憚られて、「もう忘れてしまったのかな。
野迫川の開拓も遅れがちだから、まあいいか・・・。」と思っていた。

電話を通して彼の声が弾んでいる。
「元気で手頃なのを見つけましたよ。青いケシ・・・。それにしてもしばらくですね。」
「しばし沈黙で静かだったでしょう?ホッとしていたりしてね。ハッハッハ・・・。じつは、kiiさんが
怪我をしていた・・・。」
電話の向こうで絶句する彼に、「お孫ちゃん誕生の記念植樹に洋ナシの苗木が欲しいの。変な
記念樹だけど全員一致で決まったから・・・。あんまり小さいのは駄目よ。「洋ナシは子孫のた
めに植えよ。」と言うくらい実成りが遅いから・・・。私達が生きている間に少しは食べられないと
寂しいもの・・・。品種はこれとこれね。」と早速の我儘。
「相変わらず健在ですね・・・。」の声に、あきれ返った彼の顔が見えるような気がする。

やっと対面した憧れの青いケシの苗・・・。
この花のことを考えるときは、何故か胸がキュンとなる。まるで遠い昔の初恋にも似て・・・。
ずっと長い間、私の庭で出会える日を待っていた。
何株根付いてくれるだろうか。いつか青い花を見ることができるだろうか・・・。

メコノプシスの苗 メコノプシスの花、ラベルから。 メコノプシスの苗と花姿。
花姿はラベルを拡大したもの。
実際の花の美しさと、青の透明感はこんなものではない。(と思う。)

2/18  記念樹

野迫川倶楽部に植え込んだ樹木は、苗木を含めてもう300本にもなろうか。
好きな木ばかりを植えているのだから、それぞれに思い入れがあるのだけれど、それがひとし
お深いものもある。
杉の伐採、抜根がある程度進んだところで植えたのがケヤキだった。
野迫川倶楽部の最初の植樹で、もう三年前のことになる。
細くて頼りなく思えた木が、今は私の両の手のひらに余る。
庭らしきものを作り出した時の一本目は、ただ訳もなく卯の花だった。
たまたま手近にあっただけで、『忘れられない木』の一本に加えられることになった。
本格的に植樹に着手したのは、入口近くに植えられた二本の桜から・・・。
そこそこ大きな木だったから、枝も張りだしてかなり見映えが良くなってきている。
今年はお花見が楽しめるだろう。
ログを建て出した時には紅花のマロニエを植えた。
木への思いは尽きない・・・。

少し前、隣家のサンシュユの花芽がずいぶん膨らんできているのに気付いて、呟いたことが
ある。
「早春の花は黄色が多くて気が晴れ晴れとする・・・。倶楽部にも春の黄色い花木は多いね。
ショリコ(大実サンシュユ)、雲南黄梅、ミツマタ、クロモジ、山吹、レンギョウ・・・。」
「艶のある黄色い花が咲いているのを見たけれど何だろう・・・。」とkiiさん。
「ロウバイだと思うけど・・・。野迫川にも植えたいけれどロウバイって個体差があって、茶色っ
ぽい花もあるでしょう?咲いているのを見て手に入れるのはなかなか難しいものね。黄色の澄
んだ色のが欲しいのよね。」「フーーン。」

そんな会話があったことも忘れかけていたある日、リハビリから帰宅したkiiさんが大声で呼
ぶ。「下ろせないから手伝って!!」
訝しげに覗きこんだ車の中には、何と高さ2.5mほどの「満月ロウバイ」があった。
濃い黄色の蕾が付いている。
「少し遅くなったけど誕生日のプレゼント。」

寒さのせいもあってか一向に成果の上がらないリハビリに、少し苛立ちの表情が見えた最近
のkiiさんだった。
「昨日と比べると進展がないようだけれど、何週間か前よりは確実に良くなっているじゃない。」
そんな言葉に頷きはするが、自分の思い通りにならない身体と走る意識の狭間にあって、想
像できないほどのジレンマに陥っていたようだった。
木を買うという行動とは当分無縁のように思えていたから、吃驚して思わず顔を眺めてしまう。
「いつもの植木屋さんに寄ってみたら、いいのがあったから・・・。」と、照れたような笑いを浮か
べる穏やかな彼の様子にホッとする。

このロウバイはkiiさんの気持ちが復活の兆しを見せ始めた記念樹。
野迫川倶楽部の『忘れられない木』に仲間入りである。


2/09  野菜の話・1

食材に関しては好き嫌いなく育ててくれた亡母のお陰か、何でも取りあえずは食べてみようの
kiiさんの影響か苦手な物はほとんどない。
好きなものは何と言っても野菜・・・。
三つ葉や芹、青紫蘇、クレソン、葱の類は大好きだし、葉物も根菜類も好き。
根菜類の中では特に蓮根がお気に入りである。

暮れから20日間ほど浦和で暮らしていた際の商店探訪から・・・。
関西では葱にもいろいろな種類があって選ぶのに迷うのだけれど、私が行った限りの店では
葱は白葱、泥付葱、やっこ葱しか見かけなかった。
青葱と称されている葱を探したけれど置いている店はなかった。
関東は白ネギ、関西は葉ネギの食文化圏と聞いたことはあるけれど、目の当りにしてようやく
理解できることもある。

江澤正平著の「おいしい知識・野菜術」朝日新聞社刊を読んでこの疑問が解けた。
ネギには「千住ねぎ群」「加賀ねぎ群」「九条ねぎ群」がある。
「千住ねぎ群」・・・千住ネギ(東京都下)、深谷ネギ(埼玉県深谷市周辺)など
「加賀ねぎ群」・・・下仁田ネギ(群馬県下仁田産)、加賀太ネギなど
「九条ねぎ群」・・・九条太ネギ(京都九条原産)、九条細ネギ(万能ネギ、奴ネギはこの仲間)
耕土・気候・食味の違いが、まったく異なったネギ文化を日本の東と西に定着させる原因だっ
たとか・・・。
この本は面白い!!
野菜の本の中でも色褪せてボロボロになりかけた愛読書の一冊である。

昆布と鰹のだしをたっぷり利かせたミズナ鍋を食べたくてミズナを探したけれど、浦和駅前の
デパートでやっと見つけたそれは、べらぼうに高くてつい尻込みしてしまう値段だった。
ミズナは関西では多くの人に好まれる冬の代表的な野菜のひとつ。
何故だろう。食味以外に原因はあるのだろうか・・・?

どの店でも泥付葱と蓮根の手頃さには感激した。
あえてミズナを食べることもあるまい。その地方ならではの素材を堪能するのがよしと思い至っ
て、泥付葱と蓮根をどっさり買い込んで娘に笑われた・・・。
泥付葱の甘さときたらなかった。
大阪に長く住んで、今まで知らなかった葱の旨味だった。トロリとろけて抜群のおいしさ。
私のイメージの中では添え物のような存在だった太葱が、バリエーション豊かな食材として突
如主役の座に踊り出たショックたるや・・・。

「適うものならばひと箱背負って帰りたかった。」帰阪してkiiさんに話すと大笑いすること。
「鴨葱ではあるまいし・・・。でも、パワー減速気味のkeiさんでなかったら実行したかもね。」
kiiさんに[鴨葱]のうんちくをしっかり聞かされたおまけつき。

食べ物に対する執着は衰えない。やはり背負って帰るべきだったと後悔している私である。

 
2/04  雑  感

我が家の2000年後半は多事多難だったけれど、それを見事に締めくくってくれたのが年末の
孫娘の誕生だった。
あどけない笑み、安らかな寝顔、こぶしを突き上げて泣き喚く様、それをじっと覗き込むkiiさん
の様子を傍で眺めながら、「生かされた命と授かった命」に熱い思いがこみ上げるのをとめら
れなかった。
「この二人が対面する日がこようとは・・・。」
つぶやきながら見守る娘にも万感の思いがあったのだろう・・・。
私を見返した彼女の目にキラリと光るものがあった。

この光景は、今年満30年を迎える私達の歴史の中でも忘れることの出来ないひとコマになっ
た。

命の重さ、そんなことをしみじみ考える昨今である。


「父さんも私も母さんのお陰で元気だね。きっと基礎体力が強いんだね。父さんは命が助かっ

たし私も軽い悪阻だったから・・・。」

最近は主婦業失格の烙印を自ら押している私だから、こんな娘と父親の会話を聞くのは本当
に恥ずかしい。
今まで素材にだけは拘ってきた。
私のこだわりの理由はある日ふっと蘇った亡母の言葉だった。
「野菜は旬の時が一番おいしくて栄養があるんだよ。特に色のついた野菜をしっかり食べるの
が健康の源!!」
何気なく聞き逃していた言葉だったけれど、それを思い出した時に、昔母が作っていた青臭い
けれど味の濃いおいしいトマトや、甘いとうもろこしやキャベツの味が口の中に広がるような気
がしたものだ。

おいしい野菜を尋ねて辿り着いたのは、安心できる野菜を求めることだった。
我が家の食生活の基本はそこにある。
新しい命を得て、娘もそんなことを真剣に考えているのが嬉しい。




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