つれづれなるままに

2000年目次2000年12月

2001年目次2月3月4月5月6月7月8月9月11月12月

2001年10月
   
【昼食模様】 英知の限りを? 小さなお客様】 絵本の話
  
10/25  昼食模様

外食はあまり好きではない。
作るのが面倒な時もあるけれど、食後に帰る煩わしさがない。
特に昼食はお弁当がいい。
大したおかずが入っていなくてもその美味しさは格別なのだけれど、仕事で外に出る日が続く
と、朝の時間に追われて作ることが億劫になり、昼は外食で済ませることも多くなる。
そこで、印象に残った昼食模様を二件。

堺の深井方面におかず亭(別名百円食道)という店があり、昼時に通るといつも車でいっぱい
である。
「百円なんてどうせ大したものがないだろう。」と通り過ぎていたのだが、満車というのが内心
はとても気になっていた。ある日、思い切って入ってみて吃驚した。
基本のご飯、おかず、味噌汁はすべて百円なのである。
トレーに好きなものを乗せて後で計算してもらうシステム。
おかずはほとんどが百円。
鯖の煮付け(切り身は大きかったし、味付けもなかなかよかった。)
ほうれん草のおひたし(量が多いのが嬉しい。鰹節がかかっていた。)
味噌汁(豆腐とワカメがたっぷり入っていた。)
揚げ出し豆腐、ご飯。以上5品で525円。栄養のバランスも取りやすく量も充分。
揚げ出し豆腐は余分だったと思うほどで、食後のコーヒーに替えてもよかったかもしれない。
それにしても、安い。おまけに味もそこそこというのが実に嬉しい。

もう一件は今日のこと。
同じく堺の新金岡方面のバイキング形式のお店。
いつも駐車が多く、ここもずっと気になっていた。
kiiさんはこの手の食事形式はあまり好きではない。「入ってみようか。」という私に言葉を濁し
ていた。
今日はたまたま探すのが面倒だったのか、「ものは試し。」としぶしぶ入ることに同意する。
平日の昼食は飲み放題、食べ放題で980円+消費税。
飲み物はいろいろ用意されているし、別料金でアルコール類も注文できる。料理は二十種類
ぐらい、スープは二種類、温かい大根飯や白いご飯にカレーもある。
デザートには果物やプチケーキもたくさんあり、私はそれを見ただけでお腹がいっぱいになり
クラクラしてしまった。
「何でもご自由にどうぞ」と説明を受け、「お時間は90分です。」と言われて、「よしっ!!」と
構えて頑張ってみたのだけれど、二人とも何とも意気地がない。
いろいろバランスを考えながら料理を一皿、スープを一杯。料理はまあまあだと思うけれど、
どちらかと言えば洋風のものが多く、それほどの量を食べられるものではない。
90分を目いっぱい利用して、健啖家ぶりを思う存分発揮している人たちを恨めしげに見やり
ながら、私たちは30分でギブアップしてしまった。

もう2時になろうという遅い昼食だったけれど、満席のほとんどが女子高校生から中年のおば
さま族。ゆっくりランチタイムを楽しんでいる雰囲気である。男性は5%いるかいないか...。
彼女達の大きな話し声や笑い声に圧倒されて、私たちはまるで借りてきた猫のような心境に
なっていた。

「後一時間、あそこに座って食べ続けられた??」
私の問いかけにkiiさんはお腹をさすって「賑やか過ぎたね。」と答えた。
答えにならない答えに、妙に納得して頷いてしまった私である。

それにしても、某有名牛丼店や某廉価ハンバーガーショップには、最近疲れた顔の男性諸氏
が多いような気がする。
ガラス越しに見える光景は、男女の勢力関係を思わせるようで侘しいものがある。


10/04  英知の限りを?

昨日は急に仕事がオフになったため、美味しい空気を吸ってゆっくりしようと、あまり時間は
なかったけれど所用を片付けがてら野迫川に行った。
「作業をしない時間というのも貴重だね。」などと言いながら倶楽部内を散策する。
数歩先を行っていたkiiさんが、「これなに??」と怪訝な声を上げる。
先日花の掲示板に投稿した「庭の一部」の通路部分が不自然にボコボコボコ。
「なんだろうね。」「モグラにしては大きいよね。」
瞬間二人で顔を見合わせて叫ぶ。「イノシシ??」
「まさか??」が「まさか!!」になるのに時間はかからなかった。

目を転ずれば、庭の中も結構あちこちひっくり返されている。
前回の見せ掛けのワナが効を奏したのか倶楽部内への再訪はしばらくなかったが、入ろう
とする気配は感じられていた。別ルートからの侵入を予測していながら、高を括っていた私た
ちも甘かった。後悔先に立たず...。

それから敷地内総点検が始まる。野迫川倶楽部の庭は大きく五ヶ所に分けられている。
「ここも無事、ここも、よかった。」最後の白樺エリアで目が点になるような驚き。
イノシシはここで運動会をしたのか、それとも相撲大会か..。

白樺の下にはたくさんのドイツスズランが植えられている。水仙も数多い。
掘り返している有様にはギョッとするけれど、水仙にはまったく手をつけていない。
彼らも水仙には危険を察知するのだろうか。その防衛本能たるや、たいしたものである。

この白樺エリアには私が大切にしているコーナーがあるのだが、そこが無残な様相を呈して
いた。
キレンゲショウマ、ギンバイソウ、青色ギンバイソウ、オキナグサ、チベットコアヤメ、チャルメ
ルソウ、シラヒゲソウ、エゾリンドウ、サンゴオトギリ、小山ナデシコ、青花ヒナソウ、アサギリ
ソウ、園芸種のホトトギスなどがここに植えられている。
岩で周囲を囲み、ちょっと雰囲気のよい『山野草コーナー』になっていたのである。
何よりも残念なのは、四国カッコソウがここを定住場所に決めたのか群落を作りかけていた
こと。タカサゴユリが育っていたこと。
彼らの一番の目的はミミズだったようだ。白樺エリアの通路は雑草だらけになっていたが、
ボコボコながら草を引き剥がし、草引きをしやすくしてくれたことには感謝(?)している。
でも、そこでタカサゴユリを見つけるなんて...。
きっと「うれしいな、うれしいな!!」と狂喜して躍り上がったに違いない。

今までは半分負け惜しみながら、先住者だと思えば遠慮もあった。
ここまで出没して荒らすことはなかったし、お互いに無言の了解というものもあって然りと思っ
ていた。
共存することが山で暮らす知恵だとも思っていた。
でも、序章にすぎないであろう今回の暴れ方は、次なる被害を予測するに充分である。
「所有権登記済みなのだぞ!!」「よおし、その気なら受けて立とうじゃないの。英知の限り
を尽くして!!」
息巻く私の横で、kiiさんは黙々と杭を打ち込みネットを張る。
ポツリと「英知の限りを?そんなもの、あったかな..。」

住まなければ管理できない限界が、もう近づいていることを思い知らされる。

イノシシの侵入ルート探索で裏山に登る。
数年前の台風の際の倒木がゴロゴロしているから、滅多に登ったことはないけれど、たくさ
んの発見があった。
風倒木のお陰で日照が良くなったせいか、植物がいろいろ増えているようである。
日だまりで咲いているスミレもあった。野迫川では初めて見るスミレの葉も目につき、来年が
楽しみである。ミツバツツジをかなり見つけたし、朴(ホオ)の木もあった。
ツルリンドウも自生しているし、アケボノソウが群れをなしていた。なんという嬉しさ。

「マムシだ!!」というkiiさんの声に、指差す方を見れば松の根っこようなものが..。
不気味な様相にぞっとする。
山のずうっと上のほうで、野迫川倶楽部からは相当離れているけれど、存在を確認した以上
油断は出来ない。
マムシはkiiさんの手に掛かってあえない最後を遂げたが、その間私は立ちすくんでいた。
「keiさんらしくない..。」と彼はカラカラ笑った。
その日は生きてうごめいているマムシに出会った、記念すべき日になった。


10/02  小さなお客様

9月の終わりの土曜日、野迫川倶楽部に可愛い小さなお客様があった。
リンク先のまれびとさんご夫婦と満一才になったばかりのお嬢さん、まれびとさんの幼友達の
Oさんの4人。
メインゲストが満一才というのは、野迫川倶楽部の記録に残るのではないかと思う。

まれびとさんのお嬢さんのSちゃんは、厳しい病気で闘病中。一才までにもう二度もの大手術
を受けている。
彼女の闘病の記録はまれびとさんのHPまれびと village idiotに詳しい。

kiiさんが怪我をして一年になる。
熱心にリハビリに通ってはいるけれど、目に見えては出ない成果、思うようにならない身体に
挫折を感じて、焦り、苛立ち、何度躓いたことだろう。
そんな時Sちゃんの罹患を知ったkiiさんは、驚きのあまりしばし動けず、「どうして、いったい
どうして.....。」呆然とその言葉を繰り返すだけだった。
その日から、Sちゃんの闘病記録を拝見するのがkiiさんの日課になった。
「こんなことでへこたれてはいられない。あんなに幼い子が頑張っているんだから。」
これがkiiさんの口癖になった。

怪我をした後、人の心の温かさを知りはしたけれど、それにもまして人の心の裏を知り、仕事
の上でもかなりの痛手をこうむった。
苦脳する中で、彼女の存在は私たちに踏ん張る勇気を与えてくれたのだった。
「大の大人が泣き言を言ってどうするの!!」何度、自分自身を叱咤したことだろう...。

思いがけず実現した野迫川倶楽部訪問。
小さなお客様に会えるのを、私たちは待ち焦がれていた。

「頑張ってね。貴女もパパもママも..。」
口に出せない言葉をそう心で念じながら、抱っこした彼女のぬくもりに胸が熱くなるのを禁じ得
なかった...。

 
10/01  絵本の話

ここ数年というもの、大人向けの本はあまり読んでいない。
現実とあまりにもかけ離れた話には、没頭して時間を潰している暇がないのも理由のひとつ。

児童書は相変わらず読んでいるけれど、最近のものはあまり多くはない。
本を整理しなくてはならないとしたら、植物関連は別として、最後までしがみついて離さないの
がこの分野に違いないと思っている。
児童書や絵本はもともと好きだったし、昔は娘とよく読んだものだった。
娘が巣立ってからは絵本とはしばしご無沙汰していたのだけれど、少し前に久しぶりに目に
留めた「花さき山」がまたまた火を付けた。
懐かしい絵本が次々と脳裏に浮かび、野迫川に移動するために既に詰められて久しい絵本
の箱を開けてしまう。

以来町の生活に疲れて傷ついた時、私は絵本を読む。
何冊かの本を読んだ後は、心が晴れて癒されているのを感じる。
絵本はメルヘンの世界、想像の世界だけではないし、決して子どものものだけでもない。
自分の心と向き合いたいとき、私は絵本を読む....。


最近、娘との電話では絵本の題名がよく飛び交う。
「スイミー」「フレデリック」「はらぺこあおむし」「ちいさなおうち」「ぼくを探しに」「小さなクレヨン」
「もりのなか」「モチモチの木」「こもりおに」や「かえるのあまがさ」「めんどりさんとこむぎつぶ」
数え上げたらキリがない。どこまでも続くので、この辺で....。
「『おしいれのぼうけん』にはドキドキしたね。」
「『はじめてのおつかい』もそうじゃなかった??」
気が付くとお互い、弾んだ声で話している。

乳幼児の精神の発達の段階で絵本は重要な役割を果たしてきたが、何よりも素晴らしいこと
は親と子の濃密なふれあいの時間が持てることだと思う。
「よんで、よんで。」「少しだけよ...。」
絵本を読んでいる親子は不思議と触れ合っている。横に座って、或いは膝に抱かれて、肌の
ぬくもりを感じながら絵本に見入っている子どもの表情と、読んでいる親の表情。
これほど安らかな絵があるだろうか。

絵本離れはいつ頃から始まったのだろうか....。
今はテレビが絵本に取って代わった家庭も多いと聞く。
現代人は確かに忙しいのかもしれないが、この部分だけはお手軽になって欲しくないと思うの
は老婆心だろうか....。

 


このページのトップへ keiさんのひとりごとへ