つれづれなるままに

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2001年4月
  
  【植物の話4・・すみれ奇っ怪なできごと時代おくれ
 
4/24  植物の話4・・すみれ

野迫川村にも遅い春が来て、花たちとの話が弾む・・・。
先日の野迫川倶楽部で吃驚した出来事のパート2。でも、これは奇っ怪ではない。

スミレも好きな花で、いろいろ育てている。
もう15種類ほどはあるはずなのだけれど、これほど住所不定の花もない。
植えた場所に翌年はいない。
私も彼女たちのようにお気楽に生きてみたい!!

好きな品種をやっと見つけて買い求め、大事に育てていたのに翌年は消えてしまって、大きく
落胆させられているものもかなりある。
ところが、意外な所で棲息しているものなのですね。
隠れ家を見つけられたスミレさんは、さぞ吃驚していることでしょう。

(その1)
4月7日に、富山の熊さんと大阪のHiroさんが、吉野さんと植えてく
ださった山の斜面のシャクナゲに、後日水をやりに登って驚いた。
消えたはずの紅花ヒゴスミレがおわしますではないか・・・。
それもたった一株・・・。
果たして自生していたものか、それともここまで旅してきたものか。
首をひねり、嬉しさに小躍り!!
旅して来たとすれば80m近くを飛んだことになる。
踏み敷かれそうなのでそっと移植する。
見つけられて戸惑っているような彼女の様子に、ふっと微笑んでし
まう。きっと、またすぐに逃げ出すんでしょうね。
(その2)
斑入り葉のスミレは珍しいと、5株を手に入れルンルンしていたのは一年だけ・・・。
一株減り、二株減り、いつの間にか全滅の危機。
それが、小さな株を二つ見つけたのです。彼女の旅は15mほど・・・。

逃げ出した彼女達を探して、野迫川倶楽部中をウロウロしだした私です。


4/18  奇っ怪なできごと

4月15日の日曜日、野迫川倶楽部でのこと。
午前中の植樹作業を終え、お昼過ぎに吉野さんのお宅へお邪魔した。
野迫川倶楽部へ戻るまでの2時間ほどの間の出来事である。
倶楽部に戻ってテーブルの上を見てギョッとする。
大きな箱が二つ。中には中古のシーリングライト。直付け用のライトが一つずつ。
クリーニングした窓用換気扇が一つ。

吉野さんご夫婦と箱をひっくり返して探したけれど、誰が持ってきたのかメモもない。
首を傾げながら、「困ったねエ。」「不思議だね。」「名前ぐらい残してくれたらいいのにね。」
「一体誰かしら・・・?」と推理は踊る。
お昼の名残で、バーベキュー網の上にあった数本の手羽塩焼きも消えている。


誰のものか判らないのでは本当に困る。処分も出来ない。
「使って、と誰かが持ってきたのかな?」と言われても、ログには使うところがない・・・。
それに、私の頭の中に出来上がっているイメージがあって、妥協できないこともある。

こういう場合どうしたらいいのだろう・・・。
今日で4日。TELもメールもない。
『他所と間違えて置いていったもの』という結論に達しているが、奇っ怪な置き土産に戸惑って
いる。


4/17  時代おくれ

河島英五さんが亡くなられた。
大阪生まれの大阪育ち。
地元のラジオ番組に一時期レギュラー出演されていたから、その飾り気のない人柄に親しみ
を感じている人も多いと思う。
先日もラジオで、6月の阪神・淡路大震災復興義援コンサートのことを熱く語られていたから、
こんなに早い死を想像だにしなかった。
聞くところによると、何日か前まで歌っておられたとか・・・。

訃報を新聞で知り、時折覗いていた彼のHPにお邪魔する。
そこには以前の、変わらない元気な笑顔があって胸が詰まる。
タイトルの横には「SLOW TRAIN」の文字が・・・。

私は「時代おくれ」が好きだ。
バブルで世の中が浮かれた後の、人がものを考え出した頃に、この歌はどれほど心にしみた
ことだろう。
新しいものがどんどん生まれて消え去っていく現代、流されて行く私達のありようを、この歌を
聴くたびにふっと省みていた。
kiiさんは「野風増」(のふうぞ)が好きである。
野迫川で宿泊した夜はしみじみと聴き入っていた。

CDもカセットテープもあいにく野迫川に置いたまま・・・。
次回の野迫川倶楽部では、じっくり聴いてこようと思っている。

いい歌を残してくださってありがとう!!
早過ぎる死を心から悼みます。





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