つれづれなるままに

1999年|2000年1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月

12 月
 
【冬至カボチャ】 【阪急淡路駅前商店街】 【43日間】
 
12/21  冬至カボチャ

「あほ、ばか、まぬけ、ひょっとこ、なんきん、かぼちゃ。おまえの母さん出ベソ!!」
幼い頃のケンカのハヤシ言葉。

北海道のジャガイモのおいしさは格別だと言われているが、彼の地で生まれ育った私は、何故
かカボチャの方が好きで、我が家には今でも常時1〜2個ゴロンと転がっている。
カボチャを小馬鹿にしたような
ハヤシ言葉は、単なるゴロ合わせだと思いつつも憤慨させられた
ものだった。

昔は「マサカリカボチャ」が主流だった。
包丁の刃が立たず、鉈で割らなければならないほど固かった。
固いけれど蒸すとホクホクになるおいしさは、どんなおやつよりも勝っていた・・・。
厳しい気候に強い「マサカリカボチャ」は、忙しさを理由に料理にさえ手間暇をかけることを嫌う
現代の風潮に合わなかったのか、次第に廃れてしまい今は僅かの生産者を残すのみと聞く。
少し前、北海道の方から種をいただき勇んで野迫川で育ててみたけれど、腕が悪かったのか
気候風土のせいか結果は思わしくなかった。

十勝川や帯広川がいつも遊び場だったけれど、ある日、帯広川の土手のゴミ捨て場と化してい
る場所に、沢山の大きなカボチャを見つけたときは吃驚した。
ゴミの種類はまったく異なるのだろうが、昔から不心得者は居たのだろう。
今なら子供心にも収穫しようなどとは思わなかったに違いない。
両手に重いカボチャを抱えて意気揚揚と凱旋した私を、母は楽しげに笑って迎えてくれた。
我が家の畑にも、どっさりのカボチャが実っていることは後で教えられたのだが、その時の母は
内心さぞ困ったことだろう。
そのカボチャは私の大好きなおやつになった。
蒸してつぶし、つなぎを入れて味を整え油で焼く。香ばしい風味はごま油だったのか・・・。

今日は冬至。
冬至にカボチャを食べると中風にならないという風習がある。
地味豊かな黄色野菜は、厳しい冬に向かっての体力づくりには何よりのものだったのだろうが、
中風云々は果たしてどうなのだろう。
北海道に住んでいた頃は、この日はカボチャ汁粉だった。
カボチャとお汁粉のドッキングは、懐かしさもあって時折作るけれど、kiiさんの反応は今ひとつ
冷たい。


12/14  阪急淡路駅前商店街

大阪の南部に住いする私達は仕事のエリアも大半が南で、大阪北部にはあまり馴染みがな
い。たまたま北部での仕事中にkiiさんが怪我をして、東淀川区にある淀川キリスト教病院に
運ばれたため、普段は行く事がなかった地域を知ることになった。

最寄の駅は阪急電鉄の淡路駅。
入院の最初の頃は気持ちに余裕もなく、仕事を終えてからの病院通いは、ただ身体を移動させ
ているだけのものだったが、日も経ち次第に慣れてくると周囲に目をやるゆとりも生まれてくる。
この駅前からずうっと商店街が続いているのだが、吃驚したのなんの・・・。
廃れてさびれて、閉鎖していく市場や商店街の多い中で、ここの元気は一体どこからくるのだろ
う。少し遠回りになるけれど、病院を日中に訪れる時は、ゆっくり楽しみながら歩くこと20分。
いっぱいの元気を貰いながら商店街を通り抜けて行くようになった。

魚屋さんもお肉屋さんも、八百屋さんもお惣菜屋さんも皆活気に溢れている。
おじさんやおばさんに混ざって若い店員さんの声が嬉しい。
「チョット間、見いへんかったなぁ。どないしてはったん。」「風邪引いてしもうてな。」
「気いつけなあかんで・・・。」
客達と店員さんのやりとりを聞きながら、つい立ち止まり、和やかな気持ちになって微笑んでい
たりする。客の年齢層は年配の人からベビーカーを押した若い夫婦まで様々。
「今日の大根はとびっきりでっせ。」「買ってかな損やで。」「さっきまで生きてた魚やァ。」
「どないして食べるン?」「わての足より太おますなぁ。」
八百屋さんは大きな大根を何種類かの料理で使い切る方法、魚屋さんは魚の名前から調理法
に至るまで、嫌な顔も見せず親切に教えている。
客の中から「こんな食べ方もおいしいんよ。」などとレクチャーがあったりして、客同士の会話も
弾む・・・。

昔はこんな光景をよく見たものだ。
まだ所帯を持ってすぐの頃、市場や商店街は健在で活気があり、慣れない新米主婦はそこで
少しずつ智恵を貰って成長したものだった。

たこ焼きのソースや揚げたてのコロッケ、うどんの出し汁のいい匂いに、コーヒーやお茶を焙煎
するこうばしい香りや、焼きたてパンの鼻をくすぐるような匂いが混ざり、花屋さんの香りも・・・。
複雑に入り交ざった匂いの中の何種類かを嗅ぎ分けながら、懐かしさに胸がいっぱいになる。


12/02  43日間
 
「ホームページもkeiさんも、何だかひっそりとしすぎているようだけれど、相変わらず忙しいの
でしょうか?」「身体のほうは大丈夫ですか?無理をしていませんか?」
そんなメールを少なからずいただいて、その度にドキッとしながら「もう少しするとゆっくりになり
ますので・・・。」とお返事してきたのだけれど、HPの更新もあまりに遅れて、流石にもう言い訳
も出来ず申し訳ない思いでいっぱいです。
今までこれほど更新しなかったことはなかったので、確かに「妙だな、変だな。」と思われても
不思議ではないですね。

ずっと忙しかったのは事実なのですが、その最中の10月21日のこと、kiiさんが本業で怪我
をしてしまったのです。
ICU(集中治療室)に入っていた3日間と、意識がまだらだったその後の2週間は、私も生きた
心地がしませんでした。
幸いなことに九死に一生を得て命をこの世に残し、素晴らしい回復力を見せて今日とりあえず
退院いたしました。
43日間というのは、kiiさんが入院していた日数なのです。

軽くはなかった事故でしたが、「頭部はもう大丈夫ですよ。」とのお話でほっと一安心。
今は腰のリハビリが続いていますし、二週間後には手術した右肘のギブスも取れるのでそちら
のリハビリも始まります。
頭部の状態が安定しましたので、自宅の近くに転院して通院しながらリハビリを続けることにな
りました。長くて苦しい日々でしょうが、持ち前の「開拓者魂」で乗り越えて行くでしょう。
仕事と病院の掛け持ちで忙しい毎日を過ごしていましたが、これで私もやっと人心地つくことが
できます。

症状がある程度落ち着いてから申し上げようと思っていましたので、今になってしまいました。
いろいろとご心配をいただきまして、ほんとうに有難うございました。
沈黙していましたが、「気持ちの余裕がなかったのだろう。」と、どうかお許しください。


野迫川倶楽部のkiiとkeiは健在です。
こんなことではへこたれませんのでご安心下さい。
見えなかったことが見えるようになるために、この出来事とこの時間は私達にとって必要なもの
だったのだと今は思えます。
人生には無駄なことなんてないのだと、しみじみ感じています。
そして、まだ早すぎるとkiiさんをこの世に返してくださった摩訶不思議な力に、心の底から感謝
しています。

開拓民は少しだけ足踏みをしていますが、暖かくなる頃には急ピッチでログ造りや庭造りに精を
出しますので、どうかしばらくお待ち下さいませ。

                        心から感謝をこめて   野迫川倶楽部 kii&kei
  
 
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