つれづれなるままに

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7 月

【お久しぶり納涼パーティ】 【おば様、お疲れ様でした・・・。】 【蛍狩り】

7/24 お久しぶり納涼パーティ

「ひさしぶり!!」「元気だったぁ?」「ご飯食べようか・・・。」
一組、また一組、それぞれが手料理やお酒を提げてやってくる。
今回(22日)は近在の別荘地の仲良しご夫婦達が集合。
結局四組8名が集まって、『お久しぶり納涼パーティ』
申し合わせなしでも、一時間後には準備が整うところなど鮮やかなもの!!
町でいろんな事を抱えていても、山ではみんないい顔をしている。
呑んで騒いで笑ってしゃべって、夜が更けるまで楽しみました。


6時パーティ開始 9時宴たけなわ 11時踊りだしてしまった

BGMは60年代アメリカンポップスから始まって、ジャズやさだまさし。(支離滅裂・・・。)
綾戸智絵さんのCDは三枚しか持っていないが、そのうちの『Life』をかけた時のこと。
何人かの人が「これ、いいね。」と即座に言ったのだけれど、しばらくしてふっと気が付くと、Mさんが輪の中にいない。
「どこかな?」暗がりに目を凝らすと、ひっそりと聞きほれている彼女の姿があった。
病の宣告を受け、絶望の淵からやっと立ち直った彼女だった。
綾戸智絵の歌を聞きながら、胸に去来するものは何だったろうか。
彼女の目に浮かんでいた大粒の涙を、私は一生忘れられそうにない。
生きる気力が湧いてきて、ほんとうによかった・・・。


宴のあとの余韻に包まれて、それぞれのねぐらへ帰る彼らを道路まで見送る。
「おやすみなさい」
Mさんにそっと差し出したkiiさんの手には、綾戸智絵の『Life』があった・・・。




7/21 おば様、お疲れ様でした・・・。
 
私たちの親代わりとも言うべき存在の清子おば様は82歳。
血縁ではないが、それ以上に親しいお付き合いをさせていただいている。
kiiさんにとっては「精神的な強さを養ってもらった。自分の人間形成に一番深く関わった人だ。」という。
私も心から親しみ、尊敬している。
 
ずっとキャリアウーマンだった。
モガだった頃の昔語りには、おば様の目は輝き、私達は抱腹絶倒することもしばしば。
 
おば様の旺盛な知識欲は、とどまるところを知らない。
読書が大好きで、宮尾登美子が殊の外お気に入りである。ピシッと一本筋の通った生き方をしてきた人だから、その作品が好きなのかもしれない。
「最近は少し足が弱ってきた。」と言いながら、行き先は美術館や博物館。
洋画や洋楽が大好きで、歌舞伎や文楽も大好きで、その幅の広さには吃驚させられてばかりいる。
検査入院していても「こんなとこにいたら病気になっちゃう・・・。」とサッサと帰ってきてしまう人なのだ。
 
82歳まで現役を貫いたおば様は、私たちの生き方のお手本である。
私たちが「くたびれた。」などと言ってどうするものか・・・。
そのおば様がついに現役引退を決めた。今日はその慰労の会だった。
「どこでしようか?」と思案する取り巻き達に、おば様はひと言。「フランス料理よ。」
 
この頃おば様の口癖は「前だけを見てがんばんなさい。」
早くに母を亡くした私にとっては、何より嬉しいおば様の励ましである。
野迫川倶楽部の完成まで、どうかお元気でと願わずにはいられない。
 


7/07  蛍狩り
 
飛び疲れた蛍が『ホタルブクロ』でひと休みするのだと、いつか聞いたことがある・・・。
不思議なことに蛍の飛ぶ頃になると必ず咲く花だ。
まとわりつくような蛍を、そっとホタルブクロの中に移してみる。
その幻想的な輝きに、言葉にならない深い吐息をつく。
 
実に優雅で趣のある遊びを、先人たちは楽しんできたものだと思う
『桜狩』『蛍狩り』『紅葉狩り』・・・。いずれも『目で遊ぶ』
 
何ヶ所かで蛍を楽しんでいた時のこと。
男女の一組が、長い大きな捕虫網を手に、何本かのペットボトルや背負った大きな箱に蛍をたくさん捕まえている。
どの場所にもそんな人たちがいた。
「何という無粋なことを・・・。」と声を荒げて立ち去る人がいるほど、それは不愉快な光景であった。
子供が小さな虫かごに、数匹を持ち帰るのとは話が違う。
捕まえた蛍は売られるのだろうか・・・。 
 
蛍の命は短い。
ここにあれば、来年の命を約束されるものを・・・。

 


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