つれづれなるままに

1999年|2000年1月2月3月4月5月6月7月8月9月11月12月

10 月

【スパイスのこと】 【漢字の不思議】 【少年時代】 【ヒャッキン】
  
10/27  スパイスのこと

「仕事が一段落したら、道具屋筋へコーヒーの焙煎用のあぶり網を買いに行こうかな。」と言う
kiiさん。
「行こう、行こう!!」と即賛成の私に、これは何か魂胆があるなと用心の構えをみせる。
「明治屋へ行きたい。香辛料が見たい!!。」
「ほんとに見るだけ??。」疑いの眼差しのkiiさん。

香辛料には夢がある。
棚に並んでいるのを想像するだけで楽しいのだから、すごいと話に聞いているスパイスの種類を
考えると、ワクワクせずにはいられない。

「スパイスの話」斎藤浩著(柴田書店刊)は好きな本だが、それによると種子のスパイス仲間を
シードスパイス」、葉や茎のスパイス仲間のことを「ハーブスパイス」、果実、花、蕾、木皮、根
のスパイス仲間を「スパイシースパイス」と分ける分類の方法もあるのだとか・・・。
スパイスとハーブが私の頭の中でやっと結びついた、感激の一瞬であった。

開拓民生活が一段落するまでは料理に熱が入らない私だけれど、未知のスパイスに出会えるか
もしれないという、興奮に近い気持ちをかきたてられている。
私のお気に入りのスパイス
和製スパイスの「鷹の爪」には痛い思いがある。
鷹の爪を使って料理をした後に、うっかりコンタクト
レンズを入れようものならもう大変!!
「ギャア!!」と悲鳴を上げたことも二度三度、いや
もっとある・・・。
「そんなドジを繰り返すのは、keiさんぐらいのもので
しょう・・・。大抵の人には学習能力がある。」
いつもkiiさんの冷たい視線を浴びている、懲りない
私です。

10/18  漢字の不思議

ホームページを開設した頃、「植物の名前はカタカナで表記されるのですよ。」そう教えていただ
いた。
確かにどの図鑑も花関係の本も、一部を除いてはカタカナで書いてある。
野迫川倶楽部の「風 光る庭」の花たちは自分流でいいとは思うけれど、難しい漢字より判りや
すい方がよいのではと私もカタカナで書いてきた。

金縷梅、山茱萸、蒲公英、華鬘草、化偸草、龍胆、梔子、罌粟、郁子、杜鵑草、鳶尾草。
マンサク、サンシュユ、タンポポ、ケマンソウ、エビネ、リンドウ、クチナシ、ケシ、ムベ、ホトトギス、イチハツ
こんな字を書かれたらさっぱり判らない・・・。

曼珠沙華、秋桜、鬼灯、吾亦紅、芙蓉、杜若、菖蒲、桔梗、向日葵
(マンジュシャゲ、コスモス、ホオズキ、ワレモコウ、フヨウ、カキツバタ、ショウブ、キキョウ、ヒマワリ)
でも少し馴染みのあるこんな漢字は、何故か記憶の中に息を吹き込んで、鮮やかに花の色を
蘇らせる。

カタカナで表現するコスモスにもフヨウにもキキョウにもそんな力はない・・・。
杜若もカキツバタでは色あせると感じるのは、「世代の感傷」だろうか・・・。
杜若だからこそ、あの息を呑むような江戸紫が瞬時に脳裏に浮かびあがる。
漢字の持つ魅力にはかなわないと思う。

伝統の色にもそれが言える。
薄紅、鴇色、桜鼠、浅黄、萌黄、利休鼠、瑠璃、銀鼠
こんな言葉で表現されると、上質の和紙のような風合とともに、色彩が生き生きと自己表現を始
める。不思議なものである。

 

10/07  少年時代

最近よく探し物をしている。
あの書類は確かあそこに・・・。あの資料は確かここに・・・。
老化の始まりだと、kiiさんに茶化されてばかりいる。
「スキャナーとCD−RWで、相当量の書類が整理できる筈だったよね・・・。」
kiiさんが追い討ちをかける。
書類の氾濫しない生活に憧れているのだけれど、手を付けかねている現状である。

今日も資料探しをしていると、ふっと
ロバート・R・マキャモン著の『少年時代』上・下が目にとま
る。
『12歳のあの頃、世界は魔法に満ちていた。』
ついつい探し物を放っておいて読み耽ってしまう。
何度も読んでいるのに、筋も大方判っているのに、いつも新鮮に感じる本の一冊である。

読みながら、morioさんと初めてお目にかかった日のことを思い浮かべていた。
子供の頃の遊びの話に興じている、morioさんとkiiさんはまるで少年のようだった。
目がキラキラと輝き、懐かしさに頬を緩ませ・・・。
朴の葉でかざぐるまを作っている時の弾んだ声は、少年時代そのもののような気がした。

「みんな大人になったように見えるかもしれない。だけどそれは見せかけなの。時間がこしらえた
粘土細工にすぎないの。男も女も
、心のずっと深いところでは、いぜんとして子供なんです。大人
たちも飛んだり跳ねたりして遊びまわりたいと思っているのだけれど、重い粘土のせいでそれが
できないの。」ネヴィル先生の言葉が心に染み入る。

『駄菓子屋図鑑』 奥成 達著  飛鳥新社刊
『なつかしい伝承の遊び』 PW通信社刊
『子どもと遊び』 かこ さとし著  大月書店刊

こんな本を眺めながら、私も少女時代を懐かしく思い出している。


10/02  ヒャッキン
 
「ヒャッキンのお店、市内にたくさん出来ているの知ってる?」電話の向こうで友人の報告。
少しでもまとまった時間があれば野迫川に行っているので、最近町の情報には非常に疎くなって
いる。
「ぜーんぜん知らない・・・。」
「行ってみたら・・・。すごいよ。ヒャッキンのイメージが変わるよ。」
 
ヒャッキンって百円均一のこと。

所用で出た折に、先の友人の電話を思い出し、ちょっと寄ってみる。
スーパーの店頭での、百円均一の感覚しか持っていなかった私。
それほどの興味もなく、いつも意識の外にあった。ところが、どうだろう・・・。
百円玉一個で買えるものが結構たくさんあり、優れものも多いということに吃驚してしまった。
「これが百円・・・。」とため息をついている御仁もいて、同類を見つけた私は少しホッとする。
「百円なら高いな。」「これは安い!。」そんな値踏みをしながら歩くのも楽しい。
 
不織布のPCカバー、CDの百円には驚きである。
ステンの調理用具にも「これが?」と思えるものが多い。
化粧品や老眼鏡に至っては、安すぎていらぬ心配をしてしまう。
私はと言えば、丁度頃合いのロックグラスを見つけて二個、小振りのすり鉢、飯茶碗を購入。
自分で焼いた飯茶碗の値段と比較してしまう。
Kiiさんの好きそうなロシア民謡と津軽三味線のCDも買って〆て1000円也。

「ついつい買ってしまうのよね。」という友人の言葉が、耳によみがえる。 
 


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