つれづれなるままに

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8 月

  【遊びの変遷】 【収穫の喜び】 【アウトドアの心得】

8/28 遊びの変遷

アウトドア好きの方達と話していて、懐かしい地名をよく聞く。『滝畑』
 
25年ほど前には、滝畑が私達の遊びのフィールドだった。
近郊にありながら訪れる人はまだ少なく
それがお気に入りで頻繁に通っていた。
kiiさんが初めてアマゴを釣ったのも滝畑だった。
ダムが出来て川の様相が一変し、訪れる人も増え、またその人たちの遊び方もだんだん変わってくる。
私達はやむを得ず、天川へとフィールドを移す。
でも、そこもいつか追いやられて、奥へ奥へと源流に近い場所まで入ることになる。
 
元来キャンプ場でのキャンプは苦手で、ほとんどしたことがない。
キャンプは漆黒の闇と静けさだと頑固に通してきた。
一度一緒にキャンプをした人は、二度と行きたいとは言わなかった。
あまりにも恐い、寂しい・・・。
川原でのキャンプが禁止になり、狭いキャンプ場に沢山のキャンパーが集まりだしてから、私達はキャンプをしなくなった。
 
それからの十数年はよく旅をした。長野と岐阜は特に多かった。
その旅も移動型から滞在型へと変わり、いつか定住する場所を求めていた。
根底にはずっと滝畑で遊び出した頃の思いがあって、それが野迫川に繋がっていく。
だからこそ、『野迫川倶楽部』を丸ごと遊びにしてしまえるのかもしれない。
 
『一の瀬高原キャンプ場』のような魅力的なキャンプ場が手近にあれば、果たして野迫川の土地を求めていただろうか・・・。
あの頃、流行の道具など何も持っていない、何でも応用のキャンプ生活は、今から考えればみすぼらいものだったが、心の豊かさは比較にならなかった。
私達は貧乏だけれど、些細なことにでも楽しみを見出す術を、たくさん持っていた。
 
いつか忘れてしまっていた、足が地についた生活を取り戻したい。
そして、生活と遊びが一緒になった、山の暮らしが出来たらいいと思っている。
 

8/23 収穫の喜び
野迫川倶楽部のミョウガの収穫 昨年植え込んだミョウガが収穫できるようになった。
這いつくばってホクホクしながらミョウガを摘む。
出てる、出てる!! 5分ほどで一山収穫。
摘むのが面倒になるほどの量である。
花が咲いているものや小さいものは、無視できるなんて、贅沢な話。

環境にうまく合ったのか、良く育って密植状態になってしまった。
来年はもっと広げなくては足の踏み場がない。
嬉しい悲鳴である。

この喜びを体感したかった。
ネギやアサツキや三つ葉、青シソに木の芽。ニラや明日葉。エシャロット、パセリやハーブ達。ブラックベリーにラズベリー、ブルーベリー・・・。
駅まで10分、コンビニへ1分の街の生活より、『極めて不便だけれど、畑へ3分』を選択した私達は、この喜びを体感したかったのだ。

仮植のプラムの木に、今年初めて5個だけ実をつけた。
美しい宝石のような輝きのプラムに、写真を写すのも忘れてかぶりついてしまった。
その瑞々しいおいしさに、私達は言葉を失っていた・・・。

 
8/04 アウトドアの心得 
 
夏休みになって、川原でバーベキューや水遊びを楽しむ、グループや家族連れを多く見かけるようになってきた。
道具や食料を満載した車が、あちこちで場所探しをしている。 
「そんな時代もあったよね・・・。」と、懐かしい思いがある。
嬉しそうに走り回っている子供達の様子に微笑ましさを感じながら、私達は野迫川への道をひた走る・・・。
 
私達が帰阪の途につくのは、今の時期午後7時頃・・・。
6時過ぎまで作業をして、片付け終わるとそんな時間になる。
 
まだ明るさの残る渓流沿いの道を、心地よい風に吹かれながら帰る。
暑さと喧騒の町へ・・・。
もうその頃には、朝見かけたグループや家族連れは一組もいない。
「いいお天気だったから、さぞ楽しかっただろうね。はしゃいでいた子供達も、家族サービスにこれ努めたお父さんも、今ごろは疲れてグッタリだね。」
 
ふと川原を見て愕然とする。ゴミの散らかりようときたら・・・。
 
自然の中で遊ばせてもらう際の心得で何より大切なことは、持ち込んだものを持って帰ることではないだろうか。
 
野迫川倶楽部の前の小さな川も空き缶が散乱している。
どうしてこんなところに落ちているのだろうと不思議な思いがある。
目についたものは必ず拾っているがなかなか手が回らない。
今までは開拓に追われて気持ちの余裕もあまり無かったが、草の枯れた初冬の頃にクリーン作戦を展開しようと思っている。
 
 


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